涼天の下、滄瀛の波浪に溘焉の靉靆が彷徨する

2022/9/21

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 ビールって訳分からん味だと思って1年くらい口にしてなかったんだけど、今日バドワイザー買って飲んでみたら、なんというかジャンクな味わいでグイっといきたくなるような飲み心地だったね。おいしいとかはないけど、このくらいの苦い風味の方が喉越しを堪能できるんだろうね、チャミスルみてえにおいしく飲むっつうかは水分補給に近いな。でもな、疲れた時に出てきたらマジで一気飲みできると思うわこれ、なんか爽快感がある、飲み会の定番ってのも分かるわ。温泉の後とか絶対最高だね。なんでなんだろう、特にうまくはねえんだがめっちゃいけるわ。まずかった時用の口直しに男梅サワー買っといたけど、却って味がしすぎて飽きるよね。サワーじゃ一番好きだけどね。いや、ビールってやばいかもしれんわ。

 誰にも多分分からん話だけど、アクビさん絶対俺のこと嫌いだと思う。

 

 

2022/9/24

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https://twitter.com/asahicom/status/1570551401365008384?s=21&t=PrqZEhiBFHHbYLDyYQ1_lQ

 上に添付した画像は上のURLのツイートにあったもので、ツイートの趣旨とは関係ないんだがデザインってこういうことだよなと思うわ。前にデザインは俺にとって何たるか、というのを書いたけどあれはデザインじゃなくてグラフィックデザインの話だし、今考えたらまたかなり揺らいでいるところがある。問題を解決するというのが根本にあって、だからデザインをしているのは実は俺らの部類ではなく、もっと工業的な人らがしているものな気がしてきた。普通の認識では酒のラベルがオシャレだったりするのを「デザインがいい」と言うものなのは分かってもらえることと思う。俺「デザインがいい」とか言ったこと無くね? 画作りとか別の言い方を心がけてる。デザインがいいって言葉自体が曖昧すぎるから言ってないだけかもしれんけどな。こういう人々の認識とオリジナルの定義とをうまく掛け合わせた最上の認識形は、地域デザインとか道路・交通のデザインになってくるんじゃないか。あらゆる問題を解決するのと同時に見た目も良くするっていう。デザインしてます! つって作字をする人と、“なんかオシャレなやつ”を作ってる人と、すげえ定義として漠然な感じが強い。俺としてはよく「デザインをしています」なんて言えるなあとその度胸を評価したいような咎めたいような、なんでそれをデザインと言えてしまうんだろうって疑問が湧いてくるっすね。でも一般認識としてデザインはああいう認識だったわけだし、注目してもらうには間違った広報をしているわけではねえんだよな。デザインってワードほど一つの言葉で言えるモンはねえなと思っていて、それはウンタラ学ウンタラ論とかにも言える話ではあるんだが、漠としてしまったデザインという言葉の意味にそんなあぐらをかいてしまっていいんか、って思うんよなあ。なんかカッコいい・なんかオシャレなやつを作る行動を「デザイン」として固定化してる奴が多すぎると思うわ。巷間での“デザイン”の認識も多義的ながら場面は限定され、そういう場でデザインって言葉が使われることには全く文句を言うつもりはないんだが、デザインに携わる者たちだけはデザインの意味を考えるべきだと思うわ。職業としてデザイナーを主張する人と自称デザインをしてる人の差があるのは分かってほしい、ていうか職業でやってる人ってだいたい◯◯デザイナーって具体的に言うか。デザインってまず品詞として動詞でもあるのがいけねえんだ、名詞ってだけだったらもっと慎重に考えられていたんだろうな。

 

 

2022/9/25

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 多分自尊心の欠如関係無しに過去の自分を否定したくなるところがあって、それをあまり悪いとは思っていないんだけどどうなんだろう。前より自分を客観視できるようになった成長とも取れて、逆に自尊心を育めた結果とも受け取れるかもしれないしな。しかし、過去より視点を多く持てることに驕って、盲目に否定しているようでは本質を見誤っていることにもなるよなあ。俺自身否定だけしているかといったらそうでもなくて、あの頃はああいう方面に頭を使えていなかったなああんな時もあったよなあみたいな、少なくともあまり肯定的でない。

 この文章放置してしばらくしてから気づいたことなんだけど、俺自身が悲観主義すぎてダメな過去の自分しか追想していない可能性が出てきた。その間に思い出したのが、友人と晩飯後に駄弁ってるときにその辺りで徒党を組んでるグループLINEの履歴を見返してて、あの頃は良かったなみたいな話をしていたことがあって、いややはり良かったことほど記憶の底に埋没しちまう思考をしてるんだと気づいたわけだ。そして、だいたい過去の良かった自分は今の思想を以ってしても正しかったと思えるのだった。俺個人なのか人間規模で捉えるべきなのか知らんが、弱い生き物すぎるだろ、嫌なことや悲しいことがあると何かを糺(ただ)して偉くなった気になろうとするこの構造が精神的に弱すぎる。人を安心させようとしてきてウザいわ、弱い心とかいう奴。マジで強くありてえな。

 強くあるために、嫌な人を見た時に考えを改めて許そうとする練習みたいなことを日頃行ってるわ。どうしても送ってきた人生上、人の「だからダメなんだ」的な要素にはすぐに気づいてしまうから、より高尚で実用的な言論である「じゃあどうしたら良くなるか」をまず考えるようにする。なんか自己啓発本みたいな感じで書くの嫌だななんかニュアンスも上から目線な感じになってきたし。無知であることには戻れない、不可逆だから、未だ蒙き思考の中に囚われている人間はこれから啓かれる希望を含んでいるという点で、本当の意味で偉い奴ら よりよっぽど可能性があるとも言える。子供の将来が明るいように。結局、少しの知識しかない者ほど喋りたがるというのが、人間模様をもっと上の方から俯瞰してみると割と多くに当てはまるということで、世をはかなんだり恨んだりしちまうのは世界を知らなさすぎるというふうに置き換えることも可能だろう。だから、常に知ろうとすれば強い心が維持できるのかもしれない。今日なんなん? ツイッターにいる元気出す方法論を啓発してるアカウントみたいになっててキモいな。

 

 

2022/9/26

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 今日は言いたいことが多すぎるけどもう遅いので手短かに書きます。

 「思弁的」って単語を知るまで自分がいかに非行動的に物を語っていたかに気づけなかったわ。考えだけで意見としようとするような、一貫して理論派なっていう意味で、まあまさしく俺はそうだよなあと思う。昨日の日記でも言ったように、過去の俺の理論って今の俺が否定すること多くて、それって純粋に今の俺が経験を積んだことで自分への説得力が増したって話なんすよね。ただ、俺がいろいろ思弁的に思案し発言してきたことって意外と共感とか肯定されてきたことが多いから、なんか不思議だわ。過去の俺を否定するというか、現在の俺が過去より更に細かい視点を獲得し、細部まで思考が行き届いていないのを指摘してるんだわ。

 ガストに行ってさ、メニューの「ちょい盛りポテトフライ」とか、頭頂部が猫を模した形状をしたロボットだとか、よく分からんオシャレな壁紙とかだらけでよ、何もかも繋がった意味を感じない・軽薄な意味しか感じなくて悲しくなった。「ちょい盛りポテトフライ」って名前の商品は“ファミレス感”を演出するためだけの愛称で、ガストたる気概を何一つ掲揚していないし、猫のロボットはセリフが「ありがとうニャ」みたいなノリで、猫としての概念の蒙昧とした中に生まれた哀れなツギハギ情緒のカラクリになっていたし、壁紙も植えられた造花も雰囲気を形成するためだけに用いられたものにしか見えなかった。俺はこういう、人間の判然とした意味を求めない姿勢のもとに作られる物々がひどくかわいそうに思える。俺が何かグラフィックを作る時に「入れたがらない」姿勢を取っているのって、無駄なものが無いようにしたいんだろうし、俺がいろんな物に意味を求めようとするのって、無駄にしたくないからなんだろうな。幼稚園くらいの頃に、公園でパン売ってる移動販売のとこでチーズデニッシュパンを買って、食うの楽しみにしてたのに転んで落として土まみれにして食えなくなっちまったんよ、それですごくチーズデニッシュパンがかわいそうに思えてクソほど泣いたことがあるんよね。チーズデニッシュパンは作り手の創意と被食物という機能とが剥奪された無意味な存在となったわけだ、チーズデニッシュパンなんて名前を鮮明に覚えてるくらいだから本当に衝撃だったんだと思うよ。どうしても食いたくて水で洗ったしな、洗うほど表面のクリームも落ちるからどっちにしろ意味を消す行為にすぎん。だから、資本主義的な意味内容の直接的すぎるほどの日用品の広告やビジュアルを見ると悲しくなる。考えられていない、意味を与えられていないんだろうなと思って。ある意味デザインって救う作業なんかな。

 山手線に乗っていると、東京って生に従事しすぎだろって思うわ。次から次に電車が来て、人を所々に運んでいるのやばすぎる。昼夜電掣の瞬く機械都市は無機的にも思えるが、これらが人間の生活のために存在していると思うと、死とは言わんまでも生命の断絶によって俺らの生が担保されているような気になる。祖父江慎さんが言ってることもよく分かってくる。

 由紀夫の「音楽」と夏彦の「狂骨の夢」読んでフロイト精神分析マジで気になってきたわ。って言うとフロイト精神分析を気にしてる人に見られたいように思われそうだから書くのが多少憚られた、ともまず言っておきたい。もともと人間ってだいたい性的なコンプレックスを持って生きてんだろうなって仮説を大1くらいまで持ってて、だいたいでなく捻くれ者あたりの部類に限定されることは近年のうちに分かったんだけど、上の小説を読んでフロイトのそれを知って「やっぱマジやんな」ってなって、さすがに気になったって話っすね。俺がなぜこう捻くれたのかは、恐らく数ある、うちの二、三個は自分の想像に上がってて、もっと知れたら自分を客観視する手がかりになるかもしれない。でも「狂骨の夢」では精神分析を学んだのが災いして自分に辟易する描写があるんだよね...... 他人の捻くれを解明するのにも役立てるから普通に知りたい。

 

 

2022/9/28

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 巷間で云われる「無断転載」という言葉に複数の意味があることに気づいたわ。今日、ツイッターに公開されたことのないイラストが、描いた本人の関係者らしき人物によってツイッターに投稿されたという事件が起こった。代理で上げてほしかったという線も考えられたが、「無断転載では?」という旨の直接リプライが当アカウントによって悉く非表示にされているらしく、どうやらこの行為がツイッター界隈では隠蔽工作の一環として認識され払拭し得ない状況らしい(追記:のちにちゃんと暴かれて当人はこれを認めていたようだ)。これがもし、ツイッター界隈の指摘通り悪質な意志によって行われたものなら、無断転載ではなく「無断公開」だと指弾されるべきだろう。作品がどこかへ掲載されているわけではないので、当イラストが転用されたことにはならないわけだ。いや、もしかしたらTumblrとかに上がってるかもしれんからそうだとしたら無断転載になるな。で最初の話に戻ると、今回の「無断転載」は得た評価を完全に自分の手柄にしようとしているわけで、断り無くアップロードしたことには変わりないが、断ろうとした意思があるかないかで言ったら、聞かれるまでもなくあるわけがないよな。で別の無断転載もあって、前にも話した壁紙サイト等への転載は、良いモノをまとめているという主義があるので、断ろうとした意思については、断ったら断られる可能性があるし無闇に動静を晒したら壁紙コミュニティの存続に関わってきてしまう可能性があるので“断るわけにはいかなかった”ことになると思う。こう悪意の有無の分裂が生じているとなると、俺には後者を悪者にすることはできねえわ。良いモノを(テーマや主張ごとに)まとめておくことってかなり意義のあることだと思うんよね、博物館とかそうじゃん。まあ博物館が無断展示してたら司法が黙ってなさそうだけどな。でもこういう集積ってかなり重宝されるものだと思う。前にひたすら昭和の雑誌広告だけを切り取り掲載したというサイトがツイッターで話題になり、俺も良いなと思ってたんだけど、最近見たらサイトが404 not foundになってて権利関係がうるさかったのかな〜って感じで終わってたことがあったね。こういう行為が何の側面の尊厳を侵害すると言うんだ...... 後者の無断転載に関しては、もう黙っていたくてさ、前者のと一緒くたにしないために何か差別化した名前が欲しいわ。“無断”だけでなく“転載”も良い印象無いから、言い換えるとなると別概念のように扱われることになりそうだ。ていうか、“共感性羞恥”といい“無断転載”といい、あまり分別を考えられずに使われる言葉増えたよな。無断転載はまあ多分俺みたいな奴しか話題にしてないだろうけど、使い方は間違ってないし。ネットユーザーの年齢層や人種の層の幅が広くなって、ボキャブラリーの貧しい衆とか大きな力に流される衆とかもやるようになって、定着するのが早くなったんだろうなあ。

 

 

2022/9/30

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 永井さんの展示行ってきたっすね。なんかさあ、グラフィック的な試みってマジで子供の頃にやるようなことから生まれるもんなんやなって感じだったっすわ。逆に怒りを覚えたわ、クソほど理屈で画作りやってたのにそんなことでいいんかい、なんか騙された感じよな、大学って機関に入る意味なんだったんってな。まあでも、子供の憧憬的視点を通じて発想した物を社会的意義とかに結びつけたりするのを、理屈が分かってきた今の段階で考えるって話やんな。方法やプロセスの稚拙さとか巧妙さとかより、そのままの気づきで得た良いものは大切にしようやってな。よく考えたら、物が良く思えたってことに理屈なんかいらんよな。理由を考えることは有意義なことだが。

 

 

2022/10/1

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 社会の一部になりてえな。

 

 

2022/10/3

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 非常に残念なお知らせですが、これを以って日記とかいうものの投稿を終了しようと思います。楽しみにしていた酔狂な方々には申し訳ない思いでいっぱいです。なぜこのような運びになってしまったかと申しますと、正直日記と言いつつ第三者の存在を意識しすぎて、この日記の記述に対して反駁しづらい空気があることを十分に理解している上で、好き勝手講釈を垂れている自分が惨めに感じたからっすね。やはり誰かに認めてもらいたいという姿勢はサボりたいとかやる気出ないとかの良くない精神状態などから発生し、それを芸術やら運動やら何らかの活動によって解消・昇華を辿らないのでは、この弱い心を以って発せられた思想の欠片も持たぬ付け焼き刃な言論が、読者諸氏に受け入れられたと自分に錯覚させ日々の達成感としようとする、極めて俗悪たる醜態を持ち続けることに他ならないのと同時に、これまで申してきた言論は日夜研究と探究心を怠ることなく、しかし決してその心持ちを誰かの承認による担保を要せずに、樗材のような文章よりも遥かに洗練されたものを公的に呈出せんとするこれまた読者諸氏の、誉高き信条や努力を涜聖する行為であったことは誰も否定することはできない。知恵のない者ほど喋りたがるというのは正しく僕のような浮かれたバカ野郎のことを指すのであり、人の教化を図ろうとするこの述懐は傲然として驕慢なことこの上なく、紛れもなくこれは僕の嫌う性質そのものを自身が体現していることに他ならない。けどまあ良い日記もあった、人や物を褒める日記だけは有意義だったと思うし、今後そういうテーマに限定して日記を公開し続けようとも思ったが、結局第三者に読まれることを意識して良からぬ方向へ向かってしまうことが無いとも限らないため、こうして自身の考えを書き散らして人に見られるようなかたちにすることはやめた方がいいなという結論に至ったわけだ。これを始めて文章に気をつかう習慣がついたのだけが自分にとっての進歩だと思うから、先のような良いモノを語るみたいなテーマに絞って記述していくのを続けていくかもしれん。ただ、今後俺のこういうのが公開されることは無いです、ってことっすね。俺は廓然無聖を信条に、人を誹りたくなるような情動を堪え、あらゆる場面に真理や素晴らしさを見出しながら生きたいちなみにこれガチで思ってるからね。このために、俺は今日をもって筆を擱こうと思う。

 

 

 

 

 

 

卒業文集 〜仲間との絆〜

2022/9/5

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 マジで頭おかしいわ俺、物事を逆だと思い込んでいることが多々ある。今日それで法螺を吹き込んでしまって、界隈ではそれに通暁していることで通っていそうだから、不信感を抱かせることになってしまった。なんでこんなこと起こるんだろう。色彩検定2、3級を一発で同時にパスしてるんだけどさ、そのくせに膨張色の概念を逆に覚えてることがあって、俺は何を勉強していたんだって感じだわ。ガチでこういうの多すぎる。感覚で生きていすぎて固定概念を忘れるわ。

 ラッパーがディスり合いしてるのを「いや曲でやれよ」って突っ込んでる人いるけど、俺はただのディスり合いにも重みがあると思う。ラッパーって言葉を売りにしているというか、小説家が婉曲で皮肉ることだったら、ラッパーは正面から真っ直ぐに悪口言うことが生き様なんじゃないんすかね。包み隠さないで生きるのがラッパーの良いところだと思うし、曲制作ってフィルターで鋭利さが漉されるんだったら、言葉の生の価値って出てこねえ気するんよな。その場でのディスり合いは生の言葉の価値があるし、曲は磨かれた言葉の価値があるもんだと思う。

 俺が俺という人間性を捨て去るためには、より多くの思想に触れなければならない。

 

 

2022/9/6

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 俺は自己を消滅させなければならない。

 

 

2022/9/7

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 人類の可能性を溢美しながら生きることは、自我をその中へ投じ曖昧にすることである。俺の存在が曖昧になるほど、俺自身が世界の持つ美しさの観念に徼射することになる。

 

 

2022/9/8

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 執着してはならない。俺を捨て去らねばならない。

 

 

2022/9/9

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 ツイッターで絵で0から人気を勝ち取るためにはどうしたらいいか分からんすぎる。フォローして存在に気づいてもらうみたいな方式がメジャーなのか。俺のフォロー観念ではどうしてもそれは行われねえんだよな。俺はある4人以外はフォローバックでしかフォローしてないねんな。こいつめっちゃ良いなって思っても見るだけのアカウントでフォローしちまうからなあ。俺はもうそのうち渋い絵描くから待っとけやって感じで、最初の方はとりあえず恥を忍んでタグを付けてたっすね。突き詰めてマジで向上心を持つ以外に思い浮かばんな。向上心と最初は気づいてもらうこと。というか、そもそも俺の今の状態は特に人気な人ってわけでもないから、どういう解答をしようとしてこの話題を持ってきたのかすら、今文字を打ち込んでいる自分には分からん。経験を通さないと分からないことだらけだ、世の中は。逆に経験を通じて得た知識が最強すぎるよな。体でその根拠・道理・感覚を覚えてるわけだし、これ他人への説得力というか自分への納得感がガチでエグすぎるよな。頭で知ってるだけで人に辞めろとか言う奴惜しすぎる、実行するだけで肯定・否定以外にもさまざまなニュアンスを体得できるし、それからの活動にも幅を利かすことしかねえ。今だから梅雨や夏の時期に旧湯檜曾駅には行くなクソデカい蛾めっちゃいるし(蛾や虫が好きな人はむしろ行くべし)って言えるけど、それ以上にやはり土合の階段は長く洞穴のような構造であったということが分かり、それ以外にも峻厳な山道や田舎特有のバス停とか地元の風土を楽しむことができたし、得られるのが旧湯檜曾駅ってどんななんやろって疑問の答えだけじゃねえんよな。まあこれは観光目的だけど、学問的な疑問の場合もそうだよな。ツイッター野郎風に言うなら、行動、起こしてみるしかなくて草。オチどうしよう、渋いのを作ろう。

 

 

2022/9/10

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 ずっとその時代にしか生まれんだろって物を作り続けてえな。もしかしたらマジでアンディ・ウォーホルの生き方を尊敬しているかもしれん。いつまでも時代性を映していたすぎる。不朽の美しさよりも刷新され続ける美しさを表現し続けてえな。やっぱ価値観って時間によって変わるもんなのは否めんから、今の美しさを知るのはつまり今の時代を知ることなんじゃねえのか。主題はそれができるとしても、作風が受け入れられ続けられるかが分からんよなあ。できれば作風を曲げ続けてえんだよな。俺自身とかいう枠を早く外したい、解脱したいわ普通に。

 自分語りでもすべ。絵描き活動で「マジか!」ってなったことを話します。あんま人に言いふらしたくないから、既に俺のアカウント知ってる人向けに明言避けながら書くっすわ。断っておくと、“俺の絵だったら”って話ね、他人の絵のいいね数は知らん。2021年の1月からツイッターで活動始めて、7月までしょーもないなんも周り見えてない絵ばっか描いててフォロワーも300そこらだったんよね。基本デレマスの二次創作絵っすね。ガラッと景色が変わったのが2021年8月に上げたやつで、それまでいっても500いいねくらいだったのに、寝て起きて見てみたら2300とかついててもうほんんまに心臓エグくなって、かつてないほどの目覚めの早さだったことがあったっすね。そんときはもう大変だったんだからね、10分に一回の頻度でツイッター見ても数字増え続けてるとか意味分からんかったもん。そっからしばしば4桁前半ほどのいいねを貰う感じでやってて、じわじわフォロワーも1000人になったのね。そんで年を跨いで2022年、3月に上げた初めてのシャニマスの絵でフォロワーが1000人も増えちまってよ、俺にはどうにも止められませんって感じよ、もう。今見たら構図も塗りも謎で恥ずすぎるけど、当時の感性は確かな通り道を通ってきていたんだってことは振り返ると気づくところよなあ。4月初めにこの子だけはもう自由にやったろうっつってタイポグラフィ盛り盛りにしたやつがあの絵で、自分でも相当気に入ってるンすけど、あれでデレマス二次創作界隈の重鎮だと勝手に思ってるKさんからフォローされたのよ。マジで最終この人に認められてえ! ってほんまに俺が渋くなった時にやっと視界に入るくらいなんやろな、くらいの結構な大人物に俺の目には映ってたのに、まだまだ荒削りの自覚あったあの頃にまさかフォローされるなんてな。フォロワー欄見て文字通り三度見したわ。まあでもツイッターは師弟制度でもなんでもねえから、人の感性はさまざまっすね。あとは5月末くらいに上げたやつで初めて10000いいね貰って、でも数字の増え方が意外とのっそりしてたもんだから感動はなかったな。達成するとそうでもないんだなと思ってしまう性分だから、次は12000だったら良いんだなってことにしてる、勢い余って飛び出した良さってそのくらいの数字なのかな〜と今は思ってるっすね。10000いうても5桁の一番下だしな。4月に見栄張ったつもりで「今年フォロワー5000いくで卍卍卍」とか言ってたら、最近上げたあれは没絵なんだけど、あれで少し増えて5000いってたね。俺でもいけんや...... でもまたあんな性格なんで5000は大したことねえな、1万だなとか思い始めてる。あと“バズってから”そこそこのフォロワーになりてえな。バズるのってとんでもなく良い絵ってことだべ、それなりてえどっかで。今のところ2万いいねとかいったらそれはバズったと呼べるのだろうと思ってる。マジで戦いっすね、見ての通り逆張り画風だし絵柄が未だに全くの稚拙だから。ハタチになって一念発起して始めたこの活動だけど、研究して掴み取った名誉(?)って授かると本当に嬉しいんだなって思うわ。いや、去年の8月のあの強い拍動がマジで忘れられねえよ、今考えたらぼちぼちな数字なんだけど、あの初めて俺の美学が受け入れられたんだなって感動はほんまにやばかった。あれほどの興奮を久しく味わってないから、またなりたいっすね。書いてて自分が嫌になったからこういうの二度と書きません汗

 

 

2022/9/11

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 今やってる大学の課題が再履修のやつなんで、同級生の過去作を見て参考にしたろうかな思ってA君のツイッターを漁ってたんだけど、やっぱ渋すぎるわ。動的というよりは静的であって、しかしそこにはメカニックな・電子的なノイズ・異和が仕込まれていて異様な雰囲気を醸している。撮ってる写真とか作ったビジュアルのサンプリングからは「匿名性」を感じる、被写体にはしばしばマネキンなどのアイデンティティの非特定的なかたどりを扱っているし、風景などは写真を撮ることで“名もなき物”となり、切り取ることであらゆる物が持つ性質をシャットアウトしただ映像するという機能に収斂されている。秘匿というよりかは絶縁という感じ、切り離されて見えなくなるようなイメージ。無と言い切りたくないんだよななんか、無くはないが無くされている営為をそこに見ることができるんだよな、そういう二次的な意味合いから雰囲気を鑑賞者が感じとることができるっつう、コミュニケーションの複雑さを体現しているんよな。静的ってのは非情緒的という意味も含まれるんだけど、情緒が無いんじゃなくて非情緒的な情緒があんねん。例えば、とんでもなく高い打ちっぱなしコンクリートの壁面が両手にあって向かうところ延々と続くような通路があったとして、そこを進んでいくのは、一見して飾りっ気が無いように見えるが延々と続いているこの壁には尋常ならざる雰囲気を感じ得ることと思う。そういう魅力がある。彼は紛れもなく現代でなければ生まれない物を作っている気がする。

 俺がアイドル(idol)というものの表現する「かわいさ」とは何なのかを考えるに至った経緯が、デレマス二次創作界隈の人がゲームのスクショをかわいいとか最高とか言いながら上げているのを見たことで、初めて俺は像として掲揚されるアイドルとは何を目的としているのか不思議に思ったのだ。アイドルは象徴性のある、人間を飛び越えた存在であるのかもしれない。デレステのMVをiPadで見てやっと「コンサート・ライブにおける陶酔感」を理解して、今までアイドルソングって歌詞上辺だけな感じでダセェのばっかだと思ってた俺の考えが、逆にこれが人間の精神の塵を取り払いきった何か清浄なるシンボルとして、ある意味軽薄な言葉を以って現れるものなのではないかという考えに変わった。かわいさを持つ像として完璧でなければならないわけで、人間的であることが除去されなければならない可能性があるかもしれない。人間の理想像が人間的でなくあるべきだというのは文章的に全くおかしいことなんだが。アイドルとして崇高である像とは、人倫を穿つことというよりももっと教科書通りな道徳・理想を遂行する姿なのだとすれば、ああいう歌詞に落ち着くのだろうか。しかし、現代、“現代人”は人間の怠惰さに素直になり、より人間としての理想像がもっと人間的であってほしいという願いが訥々と囁かれる中、アイドルの振る舞うべき「かわいさ」とは何なのか。戦慄かなのの制作についてよく書かれているブログがこれ→

戦慄かなの 「かわいい」の機微を表現する圧倒的クリエイティビティ|日刊サイゾー

記事によると彼女はかわいさを“細分化”している、かわいいものに見え隠れする狡猾さや高貴さを細かく追求しているようである。これを踏まえると、像を作り上げる過程で現実を究明しようとしているのが彼女のクリエイティビティから窺える。システムにはやはり現実が、作為が、人間的態度が含まれていることに彼女は向き合い、渺茫たるかわいさの一つ一つを掬い上げていることになろう。現代人の理想像である人間み、かわいさの包摂するあざとさやら気品やらを確かに解き明かし表現することで、現代のアイドルを創造しているのではないのだろうか。

 

 

2022/9/12

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↑俺のベストツイート

 マジで俺が馬鹿側の人間で良かった、中途半端に理解力あったら考察しながら生きることはできんかったわ。

 

 

2022/9/13

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 自我を排除したすぎる。物を見るたび瞬時にその本質を固定化してしまっている。形態がどこへ向かっているか、一つに定められるものではないことを根底では理解しつつも、潜在的に志向性の一極化をしてしまっていることで思考が柔軟でない現状を否定できない。形態が持つ関係性を多元視するには、自我を捨て去る必要がある。

 

 

2022/9/16

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 暴力的な男の方がモテるっていう通説ってかそうだよね〜みたいなのあるじゃん、確かに分かるけど道理が分からんくてさ、でも逆に優しい男がどうか考えてみたらそいつはマジでキモいよな。だいたい友達ってオーバーに言ったら横暴じゃね、親交上の最低限の親切はあるけどフレンドリーな場では特に柔和じゃなくね。友達の関係としてそれが当てはまるなら、女子向けにも不親切がフレンドリーたり得るんじゃないだろうか。浮かんだ仮説に対しての否定意見をたくさん思い浮かべてそれらをクリアする方法で今まで言論としてきてるんだけど、優男(前の日記でこの手の呼称は女性の憧憬的願望からくるものであるというのは言ったが)はキモい説だけはマジで成立可能性が薄くて涙止まらん。でも優しい男はキモない? いやでも竹内涼真の優しさは全諸姉がこうむりたいモンだよな...... 竹リョーの優しさと竹リョーの高圧感どっちが現実的にフレンドリーなんだ。少なくとも、非モテ側の想像する「優しさ」はマジで優しすぎる。言うこと全部分かるわあとか大変だねえみたいな、意見に対して無難なことを返すのはそもそも会話にハリが無くてつまらんだろ。あと優しさって後天性じゃね、ハンカチを落としたので拾ってやった、車道側を歩いたとかは場面が用意されてから生まれるもんやん。話の受け答えもそう。それだけ見ると相手への関心を感じられなくね。非モテ側の想定する優しさには「相手への興味」が含まれていないと思う。興味持たれたら嬉しいやんって話を前友人たちとしたんですわ。いや優しさの定義だから含まれていなくてもおかしくはないんだけど、例えば非モテのする自虐って不甲斐ない自分をネタにするもので結局自分への興味でしかないし、関係を進展させる上で自分を認めさせたいようなその行動は慎まれるべきだと思う。やる側としては自己の透明性を主張してるつもりなんだろうけど、自分は無害なんですってのがまず選んでもらう側の立場の自覚をしているし、そんな奴が主体的に人を見つけにいく、ましてや人に興味を持って接するなんてことができんのかよ。じゃあ暴力的男性が人に興味を持ってんのかよって言われたら、どうなんでしょうかね...... 暴力的な男の方が自発的に接することができるあたり、興味無くはなさそう。興味があって聞きにいく姿勢がそもそも尊敬とまではいかんけど相手を立てているわけで、謙遜ではないあたりが高圧性寄りなのかもしれん。ガチで判然と言い切れずこうではないよな論で話してしまったけど、結論として振り回す人の方がドラマチックで魅力的なのではないか、ということである。

 何とは言わないが、俺がこのように様々なことを考察していることは苦労人でも正直者でもなんでもなく、それは本当の打算的人間・効率的に本気を出そうとする人間のやることであったのが分かり、本当の正直者ってのは良い目に遭わないモンなのだろうかと、思ってしまったことがあった。俺は正直正直者で、いろんな物と向き合ってる方の人間なんだなと思ってる節があったが、そうじゃなかった。あらゆる人間に欺瞞的な態度を取る人間、というのは計算高く人付き合いをずる賢く天秤にかけているように見せかけて、結局は“あらゆる人間の相手”をしてしまっているのであった。しかも、それは悲しいことに正直に社会と向き合っていることになってしまうようだ。俺は真面目に常識を疑っているフリをして、受け入れる常識の取捨選択をしているのではなかろうか...... 思えばやりたくないことといえば本当にやらなかったし、やっても気負わず適当だったし、だらしないのは確かだがそれで良かったのかもしれん。俺の「正直者観」が、彼の変貌によって崩れ去ったのであった。

 

 

2022/9/17

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https://twitter.com/ramanda_fresh/status/1571140142190170112?s=21&t=Gf0puHee3g5b-qgq864rLQ

 これはブルーアーカイブというスマホゲームのファンアート(少しわいせつであるかもしれない)なんだけど、人間ってこういう生き物なんだと思うわ。

 

 

2022/9/18

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 アニメオタクだったことがある人だったら、人生で何遍かはアニメキャラのイラストをiPhoneなどの壁紙にしたいと思ったことがあるだろうけど、そういう時の探し方といったら「◯◯ 壁紙」と検索するのが定石だと思う。当然検索結果は「壁紙」としてまとまっているサイトが出てくる、つまり無断転載サイトが出てくるのも分かってもらえよう。俺の絵のアカウントのツイッターのユーザーネーム(@以降)でGoogle検索したらそれにまとまってるところを発見してしまったねんな。そこで感動したのが、壁紙サイトではタグ検索ができんのよ、そのタグが細かすぎてさ、サングラスとか、なんならオレンジ色のサングラスとかめっちゃあんねん。こっちを見ている絵、背景が無い絵、絵の性質を悉くまとめててすごかったんよね。それで現代デザイン論って授業でやってたデザインの発想法みたいな内容を少し思い出してさ、街ゆく人の服装を無差別に全て書き留めたり飲食店にある全ての皿の割れ目を図に描き留めたり、ひたすらに書きまくる調査があるんですよみたいな。俺は描いてるうえで自分の表現しか追わないわけだから、ていうか人生がそんなもんでさ、“ひたすらに”描写し続けるみたいなことをしたことがなかったなと思ったんすよね。とりあえず思考せずに記録しまくる、これも一つの自我を無くす方法なんじゃねえのか。なにかと思考を挟むのがそもそも自我を優先しすぎていていけない。てか無断転載サイトに無断転載されるほど俺のイラストが上品なもの認定されていたことに驚きだったすね。無断転載サイトって社会的良質性に基づいてイラストを選んでいるような気がするから、載ってるイラストは間違いなく良い物だと思うんよね。正直デレマスキャラでサーチしてみたら、万とかいいね貰ってるやつが多かった。社会的良質性ってのは、反対が主観的良質性と勝手に呼んでて、個人的に良いねと思うものってことで、個人的には良いと思うけどこれが社会に受け入れられるかどうかってのはまた違うじゃん、社会的に見て良いと思われるものは例えば流行ってる曲とかね。主観的良質性を批判してるわけじゃなくて、逆にそれが最初に無かったら社会は形成されていないので、相互に干渉しあうべきだってのが俺の意見ね。まあ無断転載サイトを良いとは言わんけど、無断転載サイトは間違いなく良い物を載せてるのが憎いところっすよね。

 初めてMura Masa聴いてちょっと調べて出てきたブログがおもろかったんで載せます。

Redditに本人降臨したMura Masaの発言まとめ(和訳) - ハイパー春菊サラダボウル

 

 

2022/9/20

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 就活全くしてないのにマジでなんも不安じゃなくてやばすぎるな。就活浪人はさすがにやばすぎるとはうわべだけで思いつつも、多分うちの業界って実力主義みたいなとこありそうだから、遅れても渋いモン作ってたらいけそうじゃね知らんけど。いろいろ話聞いて、最終フリーかエグい系企業がいっちゃんいいな〜って感じっすわ、だから真面目に入るところは選ぼうと思う。クソ関係ないけど、俺はどう考えてもAndroidよりiPhoneの方がスマホとしてしっくりくると思うんだよね。スマホって無難であればあるほどよくね。なんかAppleの方は意識高い系が使うやつやんみたいな偏見あるけどさ、どう考えてもAppleは“カッコよくなくない”? Androidは“カッコいい”じゃん、カッコいいの使いたいか? カッコいいって褒め言葉ちゃうよ、カッコいい形態をしているって意味な。別にスマホって主張してこなくてよくない、馴染んできてほしいでしょ、だからカッコいい必要ないやん。主張したい人はケースとかデコレーションするんでしょ、でもそもそもケースもケースとしてのカッコよさであって「スマホ」を主張したい人ってあんまいないと思うけどな。まあ初めからAndroidで馴染んでるんでって人とか機能は圧倒的に泥が良いって奴はいいよ、意識高いかどうかでiPhone下げをしてる奴がほんまに意味分からん。意識高いのそっちやんカッコいい方買って、いろんなモンカッコいいの買ってんやろ。てか意識高いってなんやねん今更だけど、意識あるかないかだろ、意識高いってか感性があって拘ったり乗り換えたりできる方が正しいだろ。根底から覆したもの多すぎてわけ分からんなってきた、Appleはカッコよくなくて旧約意識高い系にはならないので安心して使ってください、Androidをカッコいいという理由で選ぶ人は意識が働いていて新訳意識高い系になるので安心して使ってください。結論は意識高い系における認識を改めてください、でした。ではね、ポートフォリオの方ね作っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

不審者情報

2022/8/24

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 ポートフォリオを真面目に作り始めた。形式から入ったら何もできなくなって終わるわマジで、何を伝えたいのかで考えなきゃビジュアルとか定まらんわ。俺の備忘録だという言い訳をここではさせてもらって、俺個人向けの話を書こうと思う。学内で素晴らしい物作りをしていると思っているうちの一人のNさんの作品を改めて見たのだけど、いやいつ見ても整然としていて言いたいことのみをきちんと述べている坦懐なプレゼンテーション(画像)は本当に美しいものであった。作品のニュアンスにプレゼンが沿っているし、表示方法は囚われを感じない、つまりこういうことをしたいのでこういう写真を撮らなければならないといったことが全く感じられず、フレキシブルに作品の魂がさまざまな媒体間を跳梁しプレゼンを遂行しているのである。いや、本当に縦横無尽な作品制作をしていると思う。個人的視点で鑑みるに、Nさん個人の表現というよりは他人に寄り添うブランディング(良さを引き出すこと)をしているような気がする。だから彼女は問題に対する解答を多く有している人種なのだと思う。視点が多角的で、その視点に準じた表現を行っているように見える。Nさんという表現者がいるというよりは、Nさんという解決者がいるといった感じ。———作品を魅せるという趣旨を忘れていた、どうしても見た目を求めているうちに趣旨を忘れることが多い。Nさんの作品は勿論素晴らしいんだが、常々こういった外部の作品を見ないと本当に気付けないものが多い。こういう機会は無理やり捩じ込むとかしなければならない気がする、考え始めてからでは遅すぎる、見る回数を増やして都度考えるべきだ。

 

 

2022/8/25

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 ウンコパーティー

 

 

2022/8/26

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 好きじゃない物多すぎてゴミ。特に接触する素材に対する嫌悪感はすごい。ジメジメしてる布素材はとりあえずなんでも触れたくない、革素材のソファには座れない、田舎の家の座布団で四辺にフリフリみたいなんがついてるやつには座れない、フローリングに素足で立ちたくない、レースのついている布製品は好きじゃない(主にカーテンやテーブルクロス)、スウェットの内側ざらざらなやつあんま着たくない(中着の上からならいける)、テーブルの上に敷いてあるラバーな感じの透明な敷き物に手とか肘つきたくない。あと触れたくない柄もある、目の大きいギンガムチェックの敷き物触りたくない、水玉模様は基本無理、小さな花が散りばめられている女性向けっぽい色みの花柄も無理、トリコロール配色(緑→白→赤など)とかビコロール(白と青など)みたいなビビッドと白の明快な組み合わせから成る目の細かい幾何学模様が好きじゃない、一面明るい白の布製品のスツール系統座れない。自室でこれ書いてるから思いつくのはこれくらいだけど、他の場所に行ったらもっと見つかるっすね。他にも椅子の近くにデカめの観葉植物あるの無理だったり、ベランダに出るための窓が地面から浮いていない、床に直接窓のレールが付いてるやつが嫌いだったり、マジで多岐にわたる。物心付く前からあるからこれに関しては親関係無いと思うんよな。いや、嫌いな物が多いの別に嫌ではないんだよね。生きづらさあると思うけどそれが普通で生きてきたから、嫌いな物がはっきりしている分好きなものにもとことん拘れるってことなんかな。好きな素材も発表しよう、ジャージ素材の“さらざら”感着たくなる、車の椅子とかがメッシュ素材だとマジで座りたい、硬いものの上からフェルト生地を貼り合わせたようなやつ(車の天井など)ずっと触れる、ビジホとか会社のオフィスとかの素朴なモコモコ感のあるカーペット寝そべりたい、新品じゃない図画工作室の椅子の感じ好き、和紙っぽいランプのカバー好き、裏起毛マジで最高だしボアブルゾンマジでイケメン、STUDIOUSの柄シャツみたいなポリエステルのサラッサラのシャツ一生着れる、IKEAのこのタオル(下に添付)の色付いてる方の触り心地渋すぎる、現代建築のコンクリートまみれの家住みたいし裸足で駆けたい、ガラスも好き(主に瓶)、特にいいちこ麦焼酎みたいな曇ってるガラスの方が好き、レジの金置くアレがステンレスでできていると嬉しい、コーンポタージュをあのさらツルな木のボウルに入れて食いたい、キュリアスメタルなどのパール紙好き、アルミケースも好き、水張りした後の画用紙が好き。

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↑これの色あるところで風呂上がりに体を拭くとマジで渋くなる

この拘り多き生活なんなんだろうな。口には出さんけど避けている物・より触っている物ってめっちゃあるわ。ただ単に嫌い好きって言ってるわけじゃなくて、嫌いな物は断固として触りたくないし好きな物は一人暮らししたら家にそれしか置かないんどこかなくらいには考えてる。あんまり拘りを表明すると、言うために選別された会話向けの言葉だと思われるのが嫌だったからそういうの言ってなかったっすね、ガチなモンは他人に批評されずに自分の中だけで確固たる拘りとして持ち続けていたいから。

 

 

2022/8/27

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 なあ、オレっちぁよぉ、とンでもねェブス男ととンでもねェブス女の性交渉って、きっととンでもねェのになるって思うんだわさ。日頃自分の見た目にコンプレックスてえんか? を持ってるもんでぇし(同士)でよ、そーらおめぇ、欲求不満ったらありゃしねえだわさ。ほんで二人は出会って、どうにかして付き合って、互いに認め合うんだべ。ほんでえよ、ある晩とンでもねェ喧嘩すんだべ。んで、その怒りのついどう(衝動)のままに相手の腕を力強く掴んでえよ、とンでもなく汚ぇチューすんだべ。相手の歯に挟まってる歯垢も全部刮ぎ取る勢いで、ベロで口ン中のいろんな雑菌舐め落とすみてえなチューすんだべ。ほったらおめぇ、布団、いや最近のワケーのはベッドつうんけ? にも行がねでよ、近くの匂いとカビまみれのソファでヨレヨレの服脱ぎ合って、全身の皮脂を全身で相手に塗りたくり始めんだべ。そん時によ、全身にチューし始めっとよ、バカデケぇ一本毛の生えたほくろとか、猫背でできた皺まみれの三段腹とか、洗っても洗っても土まみれの膝ガキとか(膝小僧のこと)、アセモまみれの斑な脇とか、黄ばんだササクレだらけの指とか、妙に横にデケぇ鼻とか、ワッサワサのもみあげとか、髪の生え際のニキビとか、真っ黒で粉っ粉しちょるヘソとか、35年切っだごとねえボーボーの眉毛とか、全ン部にチューしてベロで舐めるとよ。ンで次やることっちゅーたらアレやないの、オッサン恥ずかしゅうて言えんやがな〜笑 アレやろアレ、二人は劣等感と承認欲と性欲と怨恨の醜く渦巻く魂の螺旋へと投身し、宇宙の法則と因果律の中に己れらの穢れを忘れて沖天したのだ。彼らもまた、時空の歯車の一部となって秒針を駆動させた。宇宙は我々を鳥瞰している、くだらぬ劣等感など、世界を形成する物質の僅かな芥にも満たない。我々も共に、全てを忘れて久遠なる時の奔流に身を任せよう。偏愛が世界から無くなるまで。

 恐らくこれを読んでいる人には全く関係無い話だと思う。音ゲーマーってなんであんな集団で人やコンテンツを叩かないと気が済まない人種が勢揃いしてるのか不思議すぎる。こういう人種の9割は陰キャと呼ばれる方の人間に当てはまると思うんだけど、現実世界の人付き合いの少なさをネットで補完する方法として同じネットミーム(野獣先輩が流行っているのもこういうことだと思う)を共有するなどやり方はさまざまある中で、みんな人やコンテンツを叩いている。お前もそうだろって突っ込まれるかもしれないけど、俺は善悪関係なく存在について疑問を投じているだけだから、これには当てはまらないことと考える。音ゲーマーはみんな基本正義の心で叩いてる。こんなつまらん譜面作るなとか台パンすんなとかスコアでイキるなとか、はたまたつまらん譜面作るなと文句を言うな他の音ゲーマーをこき下ろすなとか、こんなことは小学生のうちに済ましておくべき所業なんだ。第一に俺が当てはまらないと考える理由として、俺は集団ではないということは分かってもらえるだろう。集団で叩くことがどれだけ浅ましいことか、集団でいることで自分の正義心が集団のうちの誰か(極めて非特定なもの)によって担保されているという思い込みが発生するわけだから、自分の思考を芯のあるものに深められないというのが残念でならん。より多くいいね(・フォロー)されることで自分の発言が強固なものなのだと勘違いして踏ん反り返る、集団の身内だという関係性のみから生まれる加勢も同じ作用をもたらしていると言えよう(“マジでこれなんだよな”などの助長ツイート等)。もっとも、集団に属していることに安心を得ているのだから、自身の発したと思い込んでいる考えが実は集団に都合のいいように歪められている、個人性の無い考えになっていることに気づけていないのも悲しいことである。意見が意見たるために他人の承認を要するものが、個人の考えと言えるだろうか。音ゲーマーというのは音ゲーをしないと生きていけない人種なので、どれほど物議を醸す譜面が新しくゲームに追加されたとしても辞めることはない。通常の長年にわたり新作になる据え置きゲームとは異なり、昔の譜面も遊べるしな(一部例外あり)。辞めることはないのにずっと文句ばかり言い続けるのは“やらない”方の性質にきまっている。もちろん完全に個人の表現として文句を言う者もあるだろうが、そういうのは大衆に属していないひょうきん者がほとんどであろうことも分かってもらえるかな。例えば愚痴を言い合うというのはストレス解消だから、意見ではないわけで、音ゲーマーの言論たるところも不満を源としているのは同じだろうに、それが芸術か何かの昇華を辿るのでなく単純な承認の獲得にまっすぐ向かってしまうところが、面白くないところだよなあ。身内ノリって身内の中でやるのは楽しいから集団を形成することには特に言うところはないんだけど、そこに拘泥する必要って全くねえよな、そこ含めあらゆる集団を通過して経験とするべきだと思う。

 

 

2022/8/28

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 マンコボーイ

 

 

2022/8/29

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 もう現実逃避抜きで就活に専念しよ思ってポートフォリオ作成以外のことを辞めたら、急に夜眠れなくなるし、ポートフォリオは冊子形式にする予定であるのが起因してか雑誌編集の夢ばっか見るし、めちゃくちゃ書体をいじってたしな、何かを他にやっていることが重要なことに気づかされたわ。あと精神のストレスがこんなに体にくるモンだとは思ってなかった、俺バカだしな。スリープ・マイスターで目覚ましかけてるから分かるんだけど、マジで入眠に1時間半かかるくせに数十分で起きてさっき見ていたillustratorの画面の夢思い出すからな。んでやっと眠れた思ったら起床予定時刻を大幅に過ぎた11時頃に目が覚めんよ。これほんとにやばいっすね。大きく生活に関わらない活動って絵と卒制(時期的にまだ焦るようなものではない)が挙がってきて、そっちはもう自由にやってるからさ、こう自由に考える活動が無くなると死ぬんだな〜と思ったっすね。どうなんだろうな、絵っていう現実逃避も必要かとも思われたけど、現実逃避の自覚を持っていたら活動不足の感に襲われて毎日3時寝とかになるんだろうから、平均1時寝くらいの俺はそうじゃないかもしれんな。考える活動に満足してるんだろうな。就活やってないけどしょーみ1ミリも焦ってないから、将来の不安が精神に突き刺さったことはないんだろうね、焦ってたら毎日Photoshopの夢見てるはずだし。図らずも創作活動が日々の満足になっていたんやなあと、思った今日です。マジで自分にメンタルの存在を自覚したくないからさ、自分を救済しようとしたことがなくてさ、こんなアホ野郎にも人並みなメンタルがあったわけっすね。てか1日周期で満足感が必要なの意外と人間って潜在的に要求する生き物だよな。1日と断定するには早すぎるかもしれんけど。昨日卒制と絵をやったら今日少し寝れた気がする。少なくとも、Baskerville Posterで文字を打たなくはなった。

 メンタルについて真面目に考えたらさ、俺アトピー性皮膚炎だからことあるごとに痒くなるんだけど、だいたい良い精神状態でない時にそうなることが多いわ。どういう因果関係があるのか知らんけど、ムシャクシャする場合に限定しない、普通以下の状態では全部痒みがチラつく可能性が出てきた。前述の通りの寝不足など他の症状も出てくる。この前の日記で書き始め“嫌いなモン多すぎ”で後に好きなモンを書いてたじゃん、こう舵をきった瞬間良くなったんよね。よりイラついているほどあくこう(悪口)言いたくなるんよな。だから良き生活を送るには、好きなものが何か考える、好きなものがどう好きであるか、みたいなことを日頃から考えればいいのかもしれん。

 9月中旬から大学開始だと思ってたから呑気に過ごしてたら、履修完了してくださいっつうメールきて焦って選択必修(再履修)だけ入れたわ。マジであぶねー笑 まあ未だに内定0の時点で危険は回避できていない。内定云々の段階じゃないからな、まず就職活動を行うために必須な作品集が完成してないってどういうことやねんマジで。最近アホほど太って本当に洒落にならんからガチで禁酒断食する。前の日記で酒飲むと文章に機転を利かしたくなるみたいなこと言ったじゃん、三島由紀夫の「音楽」だか京極夏彦の「狂骨の夢」だか夏目漱石の「吾輩は猫である」だか忘れたけど曰くそういう人種はいるらしいから、そうなんすねって納得したっすわ。

 

 

2022/8/30

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 由紀夫VS全共闘のドキュメンタリー見たっすわ。目的を持った暴力の肯定や天皇のシンボリズム、かつて日本人は日本に誇りを持ちたかったんだなあと、そして最後には「言語が有効であった最後の時代」などとコメントがあって、綜合して今の若者の気概は減退している、いやより対国家的感情から内的私情へと精の出し方が変わっていったんだなあと、思った次第でございますよ。エロティシズムの話はかなり面白かった、対象に自己が無いときにエロティシズムをそこに見出すという考え方はかなり理に適っているのと同時に、エロティシズムを対象の意識の有無に見出したサルトルはガチでやばいとしか言えん。由紀夫の「不道徳教育講座」にもサルトルのことが書いてある、目的に向かって適合しつつあるものは品があり、自由を奪われている状態がワイセツであると。陸上女子の走っている時の素肌は品があるが、歩いている時の尻が揺れるのは、尻が体によって動かされているだけのものであるのでワイセツである。まさか意識をそこに見るか否かでそんなモン決まるとか、ガチで考えつかんわ。あと芥正彦はクソやばかったわ。芸術主体で行動の目的を設定するの完徹すぎる。彼は芸術で何を描くかということについて「人間の原初の姿」と言っている立場で、俺も絵を描く傍ら考えは人によって違うのを強く感じたっすね。というか、芥はあの当時の年齢であそこまで思想を構築していたのが本当にエグいわ。俺は物の理想形を描こうとする過程の産物を芸術としているから、産物なのは完全な理想形はイデア論でいうイデアにしか無いからだと考えているのだが、それもまだ脆弱な理論で、だからこそ未だに絵に迷いがあるのだろうから、芥の思想の強固たるや敬服するところがあるわ。原初を描くってのは例えばキリスト教の絵画みたいな話ではあるんだけど、原初のコピーか理想の夢想かで芸術の考え方が分かれるのもおもろいなと思ったね。俺が大きな論題だと深く感心したのが“物の持続性”なんすよね。これは由紀夫と芥の論争の話。机が机として持続するには、ノートを取るとかすることが必要だ、という考え方と、物はもともと永続でそこに机という用途をその形態から見出したのだ、という考え方がある。被使用型持続か目的的持続か、両者とも俺の観念では考えられない見知に立っててお手上げですわ。思想を持つってマジで難しいことなんだな。

 

 

2022/8/31

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 不眠が治らんすぎて逆に徹夜して大学に作業しに行ったら、内臓が吐き気にむかって蝸牛の歩みをしているような、気分が混迷を極めていて無理だった。睡眠薬とか飲んだ方が絶対に良い気がする。正午の陽の下寝てしまったら、また達成感や満足感の無さに夜の悪夢を浮かべてしまうだろうから、創作的活動ができなければ何か別の意義のある活動をしておかねばならん。朝の5時くらいまでは躍起になって作業してた、7時半に朝飯を食っている最中はぬるま湯の水中をどこからともなく寄せてくる水流に流され揉まれるような具合で、10時に大学に着いた頃には流れ込んでくる水を吐呑するような、俺は機能に従事するだけの生き物になっていた。徹夜で何かしに向かったのは高校生ぶりだけど、高校生の頃は適当に生きていたので授業中には躊躇いなく寝ていたのが、今は多少自律して使命を自覚しているのでそう簡単に机に突っ伏すわけにもいかない。俺はこの日を戦いだと思った。俺が途中で寝なかったあかつきには、遂に夜の深い安寧を手にし赫赫とした払暁が待ち構えているかと思うと、泥にまみれた体躯のまま図南鵬翼、驀進するのだった。

 

 

2022/9/1

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↑語彙力俺やん

 適当に漢和辞典捲ってたら「激」って字にたどり着いたんよ。これの一番最初の意味「流れをせきとめる。また、流れをさえぎって勢いを強くする。(小学館新撰漢和)」だったんよね。いやめっちゃありふれてる漢字なのにむずくね? 水の通り道を狭めて急流にするっていう認識で合ってるんかな、だとしたら目の付け所そこなんだって感じじゃね。状態がどうなのかというよりは、作用の結果としてのこれはどうかって見方してるよな。

 メモ Suzzan Blac

 

 

2022/9/4

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 俺が人生を送っていく上で自覚することができた、自身のコンプレックスから発生した精神的活動の弊害をここに上げたいと思う。

 第一に人の目を気にすること。だいたい活動の弊害は幼い頃に受けたムーブメントが起因しているというのは、基本的に親のせいにしていたのでかなり前から気づいていたのだが、やはり大学生になってより自分の身なりを気にするようになってからこれを確信に変え始めたと言わざるを得ない。過保護な親とか世話をしたがる親の下にこういう性格の子供が興るのだと思う、俺の場合は後者型の母親のせいでこうなった。食事の時はいちいち俺の行動を“言う”、一回箸を付けて食った後に別の物を食べようと箸を移ろわせると「それはおいしくなかったかー」とか、本当に迷惑なことにたまにネガティヴなことを交えて言ってくるもんだから俺の行動を否定しているようにも思えた。最も悲劇的なのが、これが現在においても行われていることである。麦茶のボトルが空になりそうに見えたら「やかんにお茶入ってるよ」とか言ってくる。マジでいつ辞めてくれるんだろうか。ここまで細かく世話を焼くという行為が良い生活から来るとは思えない、日々に達成感が無い暮らしぶりをしているので子供の行動をいちいち察知することで、世話を錬成し日々の成し遂げとしようとするところから来るもののはずである。前にも言ったが、基本テレビしか見ない母親のことだからそんなもんだろうと思う。それで、いちいち言われるわけだから、俺はいちいち行動に気を遣わなければならない意識が定着したわけだ。どれほどかといえば全て、iPhoneのアプリの整理からツイッターのいいね欄、ロッカーの中身が煩雑になっているのもあえて雑誌とかを部屋に開きっぱなしにしているのも、何もかも他人に見られる前提で、というのは母親を誹りたい気持ちが先行している言い方で少し悪意があるが、そうである。全てを作為的に行っている。これも前に言ったけど、特に人が何の気なく行う動き、歩く・座った状態で留まる・顔の向け方・物の食べ方などは慎重にやってる。これから社会人になるわけでより大人な人間像そ求められる上で、未だに一般人になれていないのは致命的である。

 第二に自己を前に出しづらいこと。自分がこうなんだと主張すること。これは意外に思われるかもしれない。俺は俺が不完全であることを前提として生きているので、俺は見栄を張らなければ自己主張できず、また卑下しなければならず、等身大の自分を話すことができないという意味でもある。この原因は小学生の頃にあった“自慢はいけない”風潮のせいだと、容易に想像がつく。ことあるごとに自慢はいけないと言われていたら、第一に述べたことで性格が内気になっている状態でこれを日頃聞き続けていたら、身を守るためにはこういう暮らしをせねばならないと思い込むに違いない。あと、基本親から叱られたら自分の言い分は却下されるので、これも理由に当てはまる。非合理的に自分が否定されるならそんな自己は出さなければいいのである。とりあえず自分の良い評価をあまり人に言いたくないのである。ストーリーにはいろいろ長文を添えることがあるけど、あれも全部見栄を張っているだけだし、自虐を細かく書いて卑下しているだけ。もとから俺は本当の自分を語ることができない人間に育っているのかもしれない。俺の主張は全て他人にこう思われたいという意思から起こる矯飾なのである。こだわりが強いという印象も受けることがあろうが、俺は本当に生活において嫌なものが多すぎるから、本能レベルでこれを認識していて動静に出てしまうものなんだと思う。俺が俺を主張しようと思ったら、例えばこういう世論ですがあなたはどう思われますかと聞かれたら、僕は逆張り人間なのでとりあえず世論ではありませんと答えるしかなく、質問に対して特に質問に答えようという意思が無く“質問に答える”というガワを被って自己を匿って呈出するという、内包性をもってでしか行うことができない。俺という人間像はこうである、というより、俺という人間像はこういう思想のもと形成されなければならないという、自己の外側から決定されなければ自己とはなりえない客観視本位なところがある。前に出しづらいというか、前に出すにはそれなりの見栄えになるよう準備が必要である、ということか。

 第三に人に興味があると思われたくないこと。例えば俺は人のツイートを隈なく見ているのだけど、俺は“人のツイートを隈なく見ている人”だと思われたくないのである。小学生の頃に、父親に「好きな女の子◯◯だろ〜」みたいな感じでからかわれ、これが4年間くらい続いたからだと断定したい。これは俺の人間形成に大きな傷をつけたものだと思われる。これでまず“好きな女の子を作りたくない”と思うようになったし、修学旅行の寝る時によくやるあの子かわいいよな談義も嫌で参加したくなかったし、好きなアニメキャラを公表したくなかった。いや、好きなアニメキャラは公表していたけど、気持ち悪いオタクとしての人物像を形成するためにあえてうるさく喧伝したものだと思われる。正直あそこには忍耐があった。つらいならやらなきゃいいだろと思われるかもしれないが、まず俺はこんな親の下に生まれて褒められたことが少なすぎたから承認欲求が人一倍強いのと、人間像を作らなければその欲求が満たされないのがある。SNSで見れる範囲なら全部見るけど、いざ相手から俺こういう趣味なんだと言われたら“マジで?”みたいな知らんフリをする。知ってる作家とか紹介されても、ちょっとしか知らないくらいだったら知らないフリをする。とりあえず知らんフリめっちゃするわ。または、多分知識として定着することがどれほど俺にとって難解であるかという意識からくる、知っているけれど知りきっていないから知らんと言っているだけかもしれんこともある。リツイートで流れてきたやつも、リツイートに反応したら通知がリツイート者にもいってしまうので、わざわざ本人のアカウントに飛んでから反応する。俺はずっと二次元のオタクみたいな絵が好きだからさ(という書き方に既に自虐が入っていることが分かる)、しかしこれを好きなことを恥ずかしいと思っていたから、しかしこれも自分なのでこの自分をどうにか承認してほしいから、苦し紛れにこれを公表すると。スクショの背景をそういう絵にしたりしていたのも、第二で述べた“自慢”のリスクを回避しつつさりげなさを演出していた(正直全くさりげなくなく見えるけど、さりげなくやっているという思惑があれば押し通せた)。基盤として、好きなことは恥ずかしいことであるというのが固まっているのが、一番まずいことだ。これに関しては父親を本当に恨みたい。前に息子にワックスなんかつけて色気付いてんじゃん笑って感じで突っ掛かったら、それ以降ずっと息子がオシャレしなくなったと嘆いていた父親の2chのスレッドを見て、その子供にひどく同情したことがあったぜ。それから高いワックスを買ってやってどうにか機嫌を治してやろうかという試みをしても無駄だったようだし、さらには息子があえてダサいものをチョイスするようになってしまったのも、いい気味だと思う。相手に取り返しのつかない過ちをしてしまったと覚えさせることほどの快感は無いだろう。自分の絶望的なまでの不幸で相手を陥れることってなんでこんなに気分が良いものなんだろうな。俺も高校まではそうだった。カッコつけるのが恥ずかしかった。美容に興味を持ったのを冷やかされたら、もうチーズウシドンコースよ、俺みたいに。俺と同世代の子の親には、こういう冷やかしコミュニケーションをして子供との温かみを生むのだと思っているのが一定数いそう。でも昔って結構ハラスメントが強く言われてなかったような気がするし、この延長線上にこういうコミュニケーションがあろうことは分かるから、辞めさせようにも難しいところがあるだろうな〜。彼ら世代の同年代の中ではこういうコミュニケーションで親睦を深めていた側面はありそうだから。なんというか、自分の世話に責任を持っている親ではないんだろうな、俺みたいな子の親らは。軽く見ているか自分本位か。好奇心旺盛なのが動物の性であるのに、これを否定されてしまっては生きづらいので、やめろと言っても効果は薄そうなのでまずは親がからかわない・冷やかさない姿勢を貫くべきだ。

 他人が撮った写真に写っている俺の顔面が鏡で見た時よりもひどく不細工だから嫌すぎる。基本破顔(表情が和らぐこと)した時の顔つきで人と会話しているので口角が口を醜く引き攣らせているし、普段から細い目が更に細くなっていて気持ち悪い。人目を気にして生きているので前を向くことが習慣づいておらず、瞼を見開く筋肉が常人より鈍く、目力が無くて浅ましい顔貌をしている。鏡で見る自分は当然笑顔ではないのでまあ浮浪者くらいにはなってるかくらいの認識なんだけど、人といる時はテンション上がるからずっと顔を引き攣らせていて、これがなんとも馬鹿らしい。シルエットを考えて買った服も悪い姿勢や筋肉のついていない体のせいで、萎びたようだし“余っている”感がすごい。引きこもりだから一般人程度の体幹すら備わっておらず、全身に力を入れられていないのでいちいち動きに制御が効かずゆらゆらしているのも愚かしい。前は自撮りしてたけど、そんなもんは俺の顔ひでーww的なノリだからな。服の写真は服が好きだから上げるけど、服を着ている俺はどうでもいいな。なんでこんなに醜い生物も承認欲求とか人間的なものを持っているんだろう。こんな化け物が美しき生き物たちと同じような美しき欲求や表情を備えていていいわけがない。アンディ・ウォーホルは僕は機械になりたいと言っているが、彼とは別の意味で俺もそう思う。俺に実体は要らない。俺の作品が本質であるのに俺の実体が鑑賞者に把捉される必要があるか? 俺が普通未満の動物機能を有していることを世間に晒しながら生活しなければ、俺の作品が世間に公表されることが可能にならないというのは本当に悲劇的である。ヨルシカのレプリカントの歌詞で「この世の全部は主観なんだから」ってのがあって、俺はこれを心から尊敬してるけど、マジで自分の顔面って客観視が不可能で困る。前に自分の顔がなにかのプロトタイプに当てはまっているのか不安だと言ったことがある、これは自分の顔を客観視できなさすぎることから生まれるのに他ならん。汚い定型で良い、ホームレスみてえな顔とかでいいから、俺は一定の価値観において整合性を持った容貌であってほしいと、願うばかりである。

 

 

 

常が生じていないかよく注意して使用してください。使用中や使用後に、赤み、はれ、かゆみ、刺激、色抜け(白斑

2022/8/6

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 アートに関して、考察・史実を追跡しないと好きとは公言できない風潮ゴミすぎる。くだらない、事実とかの裏付けがないと好きなことすら主張できねえとか、感覚的な表現を感覚的に把捉して、それを感覚的な言葉で感想を述べたのを知識が無いだのとかいう理由で跳ね除ける奴らがくだらなくて嫌いだ。知識は物を楽しむ一手段なのであって、知っているか知らないかの違いで楽しみが変わるのは事実だが、たかが知っているか知らないかの差で無知な奴らを扱き下ろすのとかマジでクソダサすぎだろ。楽しみに優劣付けるなよ、本当に許せないわ。

 これマジで言ったらまずいと思うけど正直に書くわ、牛ムスコ(分かれ)のエロが公式に禁止な状態が偏屈陰キャエニメオタクのエロをやたら忌避する流れと合致しすぎているのやばいと思う。正直言って流れてくるイラストのシチュエーションが童貞オタクが好きそうな、俗に言うとプラトニックな主題のものが多すぎる。表現者はいいよ、憧れるモチーフってあるもんな。まあ俺としては前代未聞の新しいモチーフの方を積極的に見てみたいけれども。そういう主題のものが流れてくるイコールそういうのがより評価されているということで、鑑賞者のオタクの方に言いたいのは、どうしてこう、エッチな目で見ていないからセーフみたいな曰く人畜無害であるのだという姿勢が、却って「エッチでいるな」即ち「かわいこ“ぶるな”」という強い要求になっていることが理解できないんだろうか...... かわいくなったら(自信が付くし積極的にもなる)モテるのは当たり前で、男と一緒に歩いたり飲んだりするわけで、それを見てまた不純だのなんだの僻むんだから(だいぶ端折ったけども)おしめぇだよ。なんか怖いからこれ以上書くのやめとこ汗 ていうか、ちょっと前までpixivにエロイラスト上がってたけど(今はめっちゃ削除された(した?))、こういう規制のおかげで他コンテンツより却ってエロさに磨きかかってるように見えた。

 

 

2022/8/7

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 資

 

 

2022/8/8

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 小学生の頃、アニメのEDテーマのEDカットしか曲を知らなかったから、フルバージョン聴いた時の「もっと歌える!」っていう感動半端なかった。人と会話しなさすぎるから言わんとしている部分が理解できない人間になっていた。

 

 

2022/8/12

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 日記クソサボってもうた、御免あそばせ。俺ら世代がデザインの潮流を作る可能性みたいなのを考えてたわ。新しいものがどういう風に生まれるのか本当に分からんわ。特に新しいものを作ろうとする意気が無くて明確に時代遡行の姿勢ができあがっているところがあって、確かにオリジナリティが過去の美に魅せられたとかルーツがあるとかいうのが多少は(大方の割合でそうだとは思う)あることは分かっているが、どう見ても俺の制作物は陳套な表現であるようにしか思えない。俺も同じ時代の人間の精神性の渦中にいるし、ネガティヴなイメージへの邁進があるのは逆張ることなく肯くよ。少なくとも、俺の物の考え方では新しい魅力は生まれないと思う。俺の向かっているイメージといえば、宗教じみてる・スキャンダラス・資本主義といったような、いや一言では表せんな。架空の対象について盲信する人の集団と盲信させようとする人が好きで、洗脳っぽい文章とか固定的な幸福を重要視するものを表現したいってのがまず一つ。敵に対して強く批判的であったり目標に対して執拗な猛追をすることで、対象の驚くべき構造が顕になるのが好きで、特に反社会的な内容の事件に絡めてこれを言及したいってのが二つ。労働に直向きであり社会貢献に喜びを持つ集団が存在していればいいなという憧れがあって、社会的勝者であろうとするというより社会にしっかり従うべきだという言論を捏造したいのが三つ。最後だけに捏造したいって言ったけど、全部フィクションでそれらを思い浮かべてプレス(押す方じゃない意味)したいというのがある。書いてみるとアレだな、集団が一つに向かって突き進んでいるイメージをどれも持っているな。突き進んでいるのも好きだし突き進めよと言論するのも好きだな。好きだなっていうのは、こういうイメージって恐ろしくなるからとても魅力的で、しかしこれが魅力的であるのはフィクションであるか我々の身近に起こっていないことが前提であるからで、なので虚構として想像することなんよね。俺は杉浦康平とか戸田ツトムが画作りにおいて一番寄り付き難くて(貶してるんじゃなくて、孤高というか)最強だと思ってるんよね。“文字の存在”による表現の強固さが段違いだと思う。工作舎の本(装丁、といっても内容を表すのが装丁なんだけどな......)めっちゃ好きなんよね。遊という雑誌が俺の思考と表現方法が完全に目指していたもので、教授からその存在を聞いて調べた時は見つけたーッて思ったよね。正直、俺はフィクション前提だから分かりやすく誇張するなどして完全な啓蒙はしないつもりでいるんだけど、遊の場合は本当に一般的学問をスピリチュアルに超越し一定の思想を宣教する勢いだから、読んでてうわってなるんよね。正直こういうのを日々信用して生きていたらまともな人間にはならんと思うけど、実際遊という物が最上の美学として俺の目には映っているし業界でもその魅力は一デザインとしてしっかりと評価されているから、不思議なもんですわ。いくら遊に出会う前からこういう思想だったとはいえ、遊に出会ってから俺の表現の幅が大きく広がったのは間違いないから、いやはや俺の新しさというのはいつになったら見えてくるのやらといった感じなんですわ。時代という流れに人が最適な答えを出すものなのか、時代は翻さんとする人によって大きく揺れ動いて流れを変えるものなのか、俺には時代における新しさを測り難い。

 

 

2022/8/13

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 低気圧だと絶対に抗えぬ怠さに体の節々が鈍根として動けなる現象本当にどうにかしたい、おそらく運動を疎かにしてきたから筋肉が空気の影響を受けるほど弱っているというか強くない印なのだと思うから、これを打破することが俺の越えなければならない壁である。季節の変わり目と雨、とりわけ台風の時はこうなる。雨なんかは部屋中の布や木に黴が生えんかと言わんばかりにベタベタとした不愉快な質感を残していくのに、剰え気圧とかいう非接触的な大気の力で起動力を抑えつけられている、自然現象に抗いたい。雨降ってたら出席足りなくない限りは普通に大学サボるくらいだしな。

 

 

2022/8/14

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 求人掲載を今更検索するとかいう23卒障害者ムーブをしたんだけど、魅力的な絵面の募集が無さすぎる。絵面ってのはさ会社でやってることの写真とかプレゼンテーションの画像とかをもっと挿入しろということでさ、だいたいの会社が画像情報が少なすぎて、こういう部分ぬに気が向かないところに入りたくならないんだわ。てかクリ博とかいうの登録したけどエディトリアルの仕事皆無やったしふざけんなよ。てかもう全ての求人サイトが見づらくてゴミ、就活者なんてどうでもいいと思ってるだろ。マジで23卒集団自決会開催したい。めんどくさすぎる探すのが。本当に企業の方が俺に言いよってきてくれないかな、なんかガチで会社を探す活動がつまらんすぎてやる気起きないわ。なんでつまらないことに精を出さなければならないんだ。やりたくないなー就活、就活って身だしなみを整えないといけないじゃん、それが本当にめんどくさい。俺の作品だけが本質でありたいからずっと俺の顔面だけ無くなれば良いのにと思ってる、俺の見た目にリソースを割きたくない。正直見た目だと思うんよな、少なくとも汚くないかは見られると思う。汚い奴には来てほしくないと思う。俺は汚いから清潔にしなければならないところからスタートなのがダルすぎる。俺は恋愛・婚活市場に今後一切介入しないことを誓うから、頼むから顔面だけは見逃してほしい。俺レベルで顔終わってる奴周囲で見たことないから俺以外全員就職できる。俺はできない。ダメだ、人に興味を持てる人間に俺は興味を持たれると思えない。もうどういう職業とういう企業に応募すればいいかも分からん。最近アトピー性皮膚炎がひどくなってきてめっちゃイライラしてるわ。てかアトピー性皮膚炎の人間なんか社会に要らんからまず俺は死ぬべきなんだよな。会社員諦めたいな、コミケにだけ出店してみたいって夢あるからそれだけ叶えて人生に幕を引きたい。マジでそれ以外どうでもいい、金もどうでもいい。金とかガチで要らんすぎる、それは安定性を求めたいというわけじゃないってこと。出店費用で20万くらい用意できたらコミケに出てそのまま陣没、という感じで頼む。出店した達成感で気分と心拍数が異常なまでに上がってどうにかして自動的に死んでほしい。本とか雑誌とかのエディトリアルかグラフィックデザインができるなら会社員になってやってもいい。でもどこにも受からん気しかしないから本気でなれんかった時のこと考えよう、実家嫌だから家賃安いとこに引越してバイトしながら金を貯めて、20万くらい貯まったところで上のような流れで身罷ろうか。コミケの閉幕の合図が鳴ったら暗殺者が俺を殺してくれたらいい。いや、将来を決定しなきゃいけないんだよな、今の段階で。受かりたくなかったから(無理やり受けさせられたが、地元中で友達と遊んでいたかった)作文でやるなって言われてたアドバイスを全部取り入れて回答した中学受験に受かってしまったし、もう1ミリも美大対策してなかったから諦めて普通受験で浪人しようとして(よくネットで掲載されてたり予備校で見る)模範回答を大いに無視して絵を描いたら美大に受かったし、俺の人生沈没しなさすぎて予測不能すぎる。もうどうにかならんかな、就活1ミリもやってなかったのにいつのまにか内定が手中に収まっていた的な展開キボンヌ。まず就活をしていないので機会が訪れないからさすがに今回ばかりは沈むな。今までは用意されていたから。まあその自分の好きなようにやったら上手くいった構図になっている気がするので、ポートフォリオも可成り好き勝手やるつもりだがね、面接も練習とかせんつもり(さすがにするかも分からん)。機会さえ設けられればいい、どこかに行けば何かが起こるはず。どっちなんだ、いけるわけないのかいける気がするのか。親に言われてきた数々の曰く厳しい現実、中学受験は難しいとか美大受験は浪人必至だとかその他いろいろの対社会的ネガティヴキャンペーン、正直未だ体験したことがない。家庭より外界の方が遥かに価値観に優しいと思うところがある。できればそういう風な感じでことが進んでいったらいい。

 

 

2022/8/15

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 2年くらいゲロ吐きそうだと思いながら生きてるんだけど、マジでどうしよう。あとゲップとオナラが出るのは本当にやめてほしい、体内に空気溜まるのガチでゴミや。

 いくら論理的な訴追をしようとしても勘違いの前には何の意味もないから、その辺をまず聞き出さなければならんな。“共感性羞恥”ってさ、例えば「改札でSuicaタッチしようとしたら間違えて持ってたパンをかざしちゃったんよね。それで足止めになって後ろの人に迷惑かかって恥ずかしかった」って話を聞かされたとして、それに対して「いやそれは恥ずいな〜」って思ったら成立するものじゃね。話者の感じた恥ずかしさに共感していること、になろうよ、字面をちょっと紐解いたら誰でも分かろうことだと思う。けどよ、ネットには“側から見てて(場違いなようで)恥ずかしく感じる”ことに関して“共感性羞恥”と呼んでいることが多すぎる、例えば最近ヴィーガンが酪農業への抗議活動と称して店の牛乳をその場で床に垂らしたという事件があったらしく、しかしヴィーガンらは自らの正義を実行したまでで羞恥どころかむしろ誇りにすら思っているところあるだろ、それの類いのものを見て共感性羞恥を感じたとか言っているのよ。そういうのは言うなれば感応的羞恥とかになるんだろうか、少なくともヴィーガン側に恥ずかしさは無いので俺たち側が感じ取った羞恥は“共感”ではないわけよ。前に友人が「走馬灯というのは本当のところは形容であるのに、死ぬ間際に見る像影の名前だとして巷間では使われているのはどういうことだ」ということを言っていたのだけど、さすがにもう“走馬灯”は「本当のところ」を既に(無いものとして)知らずに使っているんだと思うわ。要するに勘違いされたまま世間に正しいとして浸透しているので、誰も疑っていないということだ。俺は“共感性羞恥”もその類いのものなのだと、今日思い始めたのだ。“ソウマトウ”も“キョウカンセイシュウチ”も発音の流れが良すぎるから、言葉に愛着が湧きやすいんだわ。発音の親しみやすさが意味を訴追させないのだろう。ただね、“共感性羞恥”に関してはつい最近使われるようになったものだから「いや誤用多すぎ」系の指摘が流れてきてもいいとは思ったんだけど、そういう言及は流れてこないからマジで不可解だったわ。しかも“◯◯性”とか“◯◯的”とかって割と何遍も使う接尾辞だし、意味をそれらを交えて考える機会って多そうだし、“共感性羞恥”に関してもむしろ引っかかる奴の方が多いと思ったんだがね。言葉に気を遣えない奴が増えたということなんだろうか。強いて言うなら“牛乳を垂らしてる行動を見て恥ずかしく思えた奴”に共感していることになろうな、ネットは誰かが言及しなきゃ問題にならんから。まあ「イタい」で止めとけって感じや。

 

 

2022/8/16

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 ピクシブアイマス10000users入りタグ調べたらエロまみれすぎて枕営業問題だった。てかさ絵描くのにたまに裸体とかエロイラストもPCに映して参考にするんだけどさ、その時は真剣な感じだからさ、夜とか親が「おやすみ〜」っつって訪問してくんねん俺の部屋、姿勢がマジすぎて隠すの忘れたんよね一回もう無意識って本当に怖いわ。私は久川颯の枕営業に反対します。

 

 

2022/8/17

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 エロっていうコンテクストって好きじゃないって言い切りたくないけど別に好きではねえんだよな。コロッケと唐揚げとステーキの中から食いたいもん選べ言われたときに、唐揚げはうまいしステーキはもっとうまいから好きなんだが、コロッケは別にそうでもないんよね、でも別に食うにあたって俺は好印象で食うのも確かなんよね。そんな感じ。エロ同人誌と一般漫画同人誌とイラスト集同人誌があったら、積極的に後者を取る。ようになったな、18禁ってエロかグロしかないやん、なんかもっと芸術的なコンテクストがあってもよくね。ここ1年くらいでエロ漫画読まなくなったわ、なんでエロ見るのに読むというかなり理性的なアクションを挟まなければならないんだ、となったためである。だからコミケ行ってもエロいやつ買わないぜ多分、たまにメロソブックス冷やかしに行くけど18禁コーナーはもう入らんくなったな。というかもうアニオタ系の店に行く目的が無くなってきた。今でも秋葉原は好きだけど秋葉原行ってどうしようって感じやな〜。これがオタク離れなのか!? 中学生の時とかオタクになれてめっちゃ嬉しかったんだけどな、グッズとか買って並べてたしかに満足だったんだが、今本当に何も買う気にならんわ。アイマスはかれこれ8年くらいになるんか触れてから。アニメは芸術として触れようとはするけど、もうオタク的姿勢で他のコンテンツには触れられん脳になってしまってるよ。推しを作れなくなったわ、これ分かる人いるんかな。昔はアニメ見るたびに「誰誰すこすこ侍でヤンスザマス括弧バクショウ」だったのに、そういうもんが芽生えなくなってきたわ。アイマス以外全然纏綿とした感情が湧かんわ。何の話だったっけ、フェティシズムを見せてくれるエロはかなり芸術点の高いものだと思うから、執着するコンテクストのものがあったらそれは欲しいな。

 

 

2022/8/18

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 充電がうまくできんすぎる、さすがにこのiPhone6Sは買い換える必要がある気がする。

 

 

2022/8/19

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 なあ俺は社会に出るべき人間じゃないと思うんだが、本質的に自分本位すぎてやばい。マジで集団に属すの不可能すぎる。集団の栄辱に興味が無さすぎる。正直夏休み入ってから今までやるべき対集団的活動を疎かにして卒制と絵しかやっとらんかった、自分の活動しかやっとらん。なんか何もかもそうやねん、なんかやってると周り見えなくなんねん、しかもそうやって集中してる時ほど良い物作れないねんな。三昧ってのはこういうことでさ、昧ってのは物理的にも知識的にも“くらい”って意味で、ずっと没頭してると見えなくなんねん。いろんな物のこと考えてる方が絶対頭柔らかくなるよな、俺はバカすぎて理解力が乏しすぎるから、一つに対して考え続けな結論を出せないんよな。日記に解説的に話している内容も、結局は普く言語を介さずに知悉されているものをわざわざ言葉にして並べて俺自身に理解させているだけだからな。てか、分かりきっていることほど説明をしないから、相手の認識と前提が違う時に本当にそこの説明をするのが難しいんよな。物についての解答を考える時間が長く知識として定着するのが遅過ぎて、一般人との知識量に歴然と差ができてる気がするな。こういうことだな、なんかパンピーより出来損ないだなっていう自意識の正体は。実際喋り方もおかしいしな俺、なんか稚拙やねん、普段喋らんから言葉が出てこないし咽喉部の開き方も発達途上で発声が陰キャやねん。マジで自分ウザすぎるな。極力人前に出たくなさすぎる。こんなバケモンはもう山で生きる。いくら製作物が客観的に見て良くても中身が穢多・非人・乞丐・屠児・凡愚・魯鈍・無能・駑馬・竪子なので社会には出るべきではない。いくら俺自身が本質を見る生き方をしているとはいえ、他人に強要するつもりはないし、こんなことは愚痴られて当然の所業なんよな。

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 前述の通り書いておいてこんなもんを載せるのは恐縮なんだけど、絵の途中段階ってめっちゃ上げたくなるんよね。そんで上の画像のように(恥ずかしいのでモザイク汗)ツイートしたら中途半端にいいね付いちゃって、この期待に完成品は応えられるか不安すぎて涙止まらん。マジで上げなきゃよかった、もう二度とwip(work in progress)ツイートせん。別にこの数字の大きさには驚いていないんだけど、まさかwipっつっただけである程度つくもんだとは思わなかった、意図して頭部を切るなどしたからな...... これから良くなる可能性のあるものって、良く見えて当然やねん。「出来上がり待ってるぜ」的な意味合いで比較的比率的にいいねが多かった(rtが少なかった)と思うんよな。完成品の場合はそこで終わった物を評価するからついた数字は絶対だと思う。あくまでツイッターの絵の話な。今見たらマジでこの絵どこが良いんって疑心暗鬼になってしまってて終い(しまい)すぎる。ミニマルに描く派だからこれ以上描いたら拙いんじゃないかと思ってしまってな。関係ないけどトリミングが一番むずい。

 

 

2022/8/20

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 これは明日の夜ご飯でした。

 

 

2022/8/21

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 みんな何も表明してねえのに俺だけ長ったらしく書き散らしてるのほんまアホらしな......

 

 

2022/8/22

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 前に感想を簡素なコメントで済ます奴は思考が無いというようなことを言った気がするんだけど、まずコメントを見る側の自分がここまで高ぶる必要はないのだという反省と共に、これも発する人間によっては新しい面白みが付加されるものであることの方が重要であることに気づいた。抑も見ず知らずの人に君はおかしいとか言うのは烏滸がましさの極まる行為で、他人と決まっているならまず関心を示すべきで、勝手に世話を焼くなど自分の価値観の中に当の他人とせらる者を一定型と、傲然として慢心な相貌で見做していることより発生する愚行なのである。これをまず俺自身が反省しなければならない。そして前に書いた「広瀬アリスが¥ellow Bucksを聴いていたら」という話だが、人間の面白みというのはこの関係からも生まれるものなのだということである。例えに著名人を使ったのが俺の盲目たるところで、“人格を把握している人”なら友人でも構わなかったことに気付けなかった。俺の知っている性格・趣味のあいつがこの本やらアニメやら音楽やらを面白いと思っている、それだけでそこに至る絡繰を究明する面白さがあるということ。当然ウェブサイトの見知らぬ輩の「面白かった」というだけのレビューはこれに該当しないことは明白だろうと思うが、かといって彼に難癖を付けるのは“面白みを探し求める”ことにおいて矛盾したことだと言える。全体としてこれは自戒の文章だが、感想などは文を考える時にどこがどう面白かったのかを更に深めることに繋がろうから、できるだけ簡素なものは避けるべきなのは変わらん。なあ俺の人生において傲慢な奴ってどんだけ罪なんだよ。

 今日俺の朋友から良いことを聞いたのだよ。コミュニティで収まるよりもっと他のコンテンツに足を踏み入れた方がいろんな面白みを知れるなという話をしていて、その動機に「真のエンターテイナーになりたい」ってことを言っていて、見方でなんでもポジティブになるんだなと思ったんよ。皆んなから面白がられるよう努めることを俺は今まで時代や大衆に阿ることだと解釈していて、どうにも自分の“皆んながすげえと思えるものを作りたい”という信条に自信を持てずにいたんだけど、なるほどエンターテインメントは凡ゆる人の中心たる存在だ、阿るという言葉がやっと研究に昇華したのである。ここの人だけが分かればいいってのマジで逃げにしか聞こえんし嫌いだったんよね、だから皆んなに分かるよう凡ゆるコミュニティや大衆の感じ方をちゃんと客観視して物を作りたかった。高校の友達と大学の友達でノリちゃうとこない? それもそういうことで成り立ってると思うんよね。ごめん眠いからオチ無しで寝ます。

 

 

2022/8/23

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 マツコデラックスが「幸せは他者を介在させずに喜びを得ること」だと言っていて、マツコォーーッて叫んでもうた。マジでそうだと思う。そういう物マジで無限に持ってるわ、幸せとか大層な言葉には掛からないかもしれんけど誰にも共感を煽らない喜びを日々実行してるわ。ハタチから飲み始めた酒とか本当に自分だけのおいしさ研究だからな、ストーリーとかにはたまに上げるけど気が向いたってだけで上げてないやつ割とあるしな。なんか昔はってか今もだけど友達マジで少なくて、友達と遊んでる人と何か関わっていることを幸福なことだと思ってたから、ツイッターでも遊んだらしょっちゅうツイートしたしLINEにも烏滸がましさ押しのけて送信してたからな。ちゃうねんな、絵描いてる時とか基本憤怒憎悪のうちにペンを走らせてるけど、線の緩急を付けるのの試行錯誤はいっちゃん楽しいねん。それが分かる絵描きってたくさんいるかもしれんけど、これって別に俺だけがやってるだけでええねんな、他人にこれを良いと思われなくてもそれは俺の喜びなんねんな。マツコの話はインスタの投稿と絡めて話してたんよね、いい感じの雰囲気の写真載せていいねもらおうみたいなな。てか逆にそれが分からんわ、周り皆んなやってる同じような写真を私も俺もって撮って上げて、なんかそれは何が楽しいのか分からんわ。俺はネガティヴ人間だから“アイデンティティが無ければ面白い人間にはなれねえな”って考えで、というかまず面白い人でなければならないなと思ってて、だから唯一無二に拘ってんよね。同じような風景の写真撮って同じようなツーショット写真撮って同じようなご飯の写真撮って、別に観測者としての俺の立場からだったらそこに人間性があるからそれを面白みとして消費するからいいんだけどよ、その写真らを上げて自分らには何になるん? としか思えん。なんかもっとお前の美学で写真撮れよ様式美じゃなくて。あの有名人があのスポットで写真撮ってるからウチも撮ろとかそういうの本当に分からん。他人との決定的な違いよな、俺は俺を表明したいから俺の表現を公開するけど、他の奴は誰かと共有・理解できる範囲内での喜びを達成できればそれで良さそうに思える。いや、ネガティヴ人間な俺からはどうしても「それで良さそう」に思える。友達の中だったら誰一人として同じ奴おらんのよ、喋ったらあいつめっちゃキチガイだしあいつめっちゃ頭良いみたいな、それ個人差があってめっちゃオモロいのに、皆んな何か固定の物を目指したがるねんな。それは他人の視点で決まっている幸せにわざわざ当てはまろうとしている感じがする。ただ一部として、幸せは実世界で体現済みで、それを表明する際の表現する喜びについて究明しない人がいることは友達の中にも何人かいることは把握している。勿論俺っぽい奴も。世間的には「それで良さそう」型人間が多いのが気になった。前の日記でも言ったけど、評価が数値化される時代になって、分かりやすくそこを目指したいがために模倣するんだろうな。その模倣に探究心があるか無いか。今幸せでないと感じている人は個人の喜びについて他人を排除して今一度考察するべきだ。

 

 

 

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2022/7/25

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 ポートフォリオポートフォリオ言ってるけど、そもそもポートフォリオを冊子として用意できるほどの金がねえから詰みすぎててやばい。PDFでもいいとこはいいんだけど、みんなフィジカルなものを作っているからそうするべきなのかなと...... 物撮りも嫌だから画像ペタペタ貼るだけがいいわ。作品がケツノシマリ哨戒班すぎるからポートフォリオの作りでなんとかするしかない。

 

 

2022/7/26

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 “開始時間は守る” 用があって事務室に向かったんだが、「13:30開始ですので」と言われて断られてしまった。

 応用が効かなくて音楽をオススメできないみたいなことってありそう。音楽の激しさは実は似ていたかもしれないのに、ジャンルが違うというだけで分からなくなってしまうみたいな。JPOP相当をよく聴いている人が、よくジャズを聴きますって奴に何か曲をオススメできると思うか? 俺はオススメできると思う、そいつがジャンルで音楽を聴いていなくて、感性で物の良し悪しを判断しているなら。JPOPにもジャズっぽいメロディーの音楽ってあるでしょう、そういうのをオススメするんだと思う。皆割と理屈で聴いているのかもしれん、俺は頭悪すぎてシステム(この音はこういう名前であるとか、こういう歴史を経てこういう音楽が生まれましたみたいなこと)を理解するのが下手すぎるから(一応理解しようとはするが)感覚的に音楽を聴くのが大きくて、だからジャンルに囚われない、でもある程度好きな調子みたいなものはある。いや、感覚的に聴いているのは皆そうで、だがジャンルという“名前”の枠組みでいろいろ体系を知ってきた中で、名前に執着が生まれているだけなのかもしれない。というか、趣味を始めるのにわざわざ沿革や体系の理解を要すると思い込んでいる節がありそうだ。お前が一番最初にオナニーした時に、お前はそのシステムを理解していたか? そもそも、義務教育を完遂するまでの間、つまりは子供の頃に親の聴いていた音楽に影響を受けているところは少なくともあるはずで、その時のお前はどうだった? なんか割と簡単に音楽は好きになれる気がするし、ジャンル気にせず聴いてしまえば良いと思うけどな。

 以前、アマング・アスがマジで恐ろしいゲームだという話になって、みんなルール知らないフリしてふざけまくるアマング・アスをやったことがある。何が怖いって、容疑をかけられるのが純粋に怖いし、もし自分が言い返せなかった時にどうしたらいいのか分からなくなるし、あれを本気でやってる勢はノリが強すぎないか? 本気でやってる勢とやったことがあるんだけど、見事に俺の嘘が見破られ、しかし俺がアマング・アス初心者ということもあったのか「あれお前そこいたよな!」みたいな感じじゃなくて「お前そこいた気がするんだけど......」みたいにソフトな感じで来られて、逆に困ってしまった。俺は正直にしか話せないから、その後反論できなくて黙りこくっているのみであった。これが本当に恐ろしい。こういう暴き合いみたいなの怖すぎるわ、ゲームっつったって人の善悪があるのが窮屈で堪らない。ふざけまくるアマング・アスでは、疑いをかけられても「ションベンしてたから俺じゃない」とか適当なこと言ってたから楽しかった、それじゃあゲームにもならんけど。

 今期学業的にやらなきゃいけないことが全て終わったから就活から目を背けられなくなった汗 ほんまにキンタマすぎる。図書館の傘立てに置いておいてある傘が3本くらいある。今日激動の情緒すぎる。朝起きて雨っぽくて気分下がって、エアコンの除湿付けて吾輩は猫である読みながら気分が落ち着いて、昼飯をすぐ食わなくちゃいけなくて焦って、事務室での手続きに不備があって申し訳なくなって、前の授業の教授の言葉を思い出して腹を立てて、廃屋カーネル氏が亡くなられて悲しくなって、モ誰氏が100日チャレンジ最終日でLiPPS描いてて感動した。

 

 

2022/7/27

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 本を読むようになりもっと気軽に字を追いたい欲が出てきたので、ニュースアプリを入れて数ヶ月経つんだけど、政治の欄おかしくね? 政治家◯◯がウンコを放置した件とか政治と全く関係ないだろ。政治じゃなくて雪隠(せっちん)やんけそんなん...... そんなことより普通にどの法案がどうなったとかの方が大事じゃね、別にウンコはいいからせめて別のカテゴリにしてほしいわ、日本人は美徳に生きているからそうはならないがもう不祥事タブで纏めてやればいいと思う。今日だって安倍昭恵夫人が追悼演説に甘利明氏に登壇願いたいらしいとかいうニュースが政治のトピックになってやがった、友達に葬式来てもらいますとか政治の正の字もねえだろ。でも有名人で纏まってるのが「芸能」ってトピックだもんな、これに政治家の人間関係等々が入り込んでくるのもおかしいことだわな。まあ政治が組閣されている仕組みを知る上で誰がどう繋がってるかってのは要所になってくるんかな、少なくともウンコはどうにか処理してくれや。

 いくら俺でも、自分を卑下するのを表に強く出すほど分かってないようなことはしない。湯の辞宜は水になるというのは俺の好きな故事、どうぞどうぞと先に風呂に浸かるのをよしているとその内水になってしまうことで、遠慮も時と場合によるという意味。強すぎる謙遜は却って人をイラつかせる、主にインターネットの裏垢系の女子に言ってやりたい。主にツイッターでは絵描きしか見てないからまたそこから話すことになるんだが、投票ツイートってあるじゃない。過去作の同人誌再販したいんですが欲しい人どのくらいいるか把握したいです! ってツイートに投票があって、選択肢が「買う」「買わない」「様子を見る(どっちつかずの人などがとりあえず結果を見るために入れられるようにしてあるもの)」とだいたいの人がこうしているわけなんだ。いや、「買わない」は避けたくなるだろ。冷徹な感じが強くて俺はそこに投票する気にならん。こういうのは単純な並列として割り当てたものと、自分が遠慮する形であえてこのような言葉遣いにしたもの、の2つは大きく存在すると思われる。前者にしても反応者の心理を考えていないし、後者に至ってはネガティヴキャンペーンだから言うまでもない。俺だったら元の質問を並列にする、過去作の同人誌の再販と新作の同人誌の販売のどちらを希望するか、とした上で「過去作」と「新作」の2つだけに選択肢を絞り分かりやすくする。終始無表情で同情(sympathy)の余地なども無く簡潔だと思うがどうだろう。新作は作るも作らぬも、未来の話だから質問者にとってはどちらでもいい話だし、投票者にとっては否定だったのが別の期待の意思表明になる(“買えない”という可不可の話にも折り合いをつけられている)。そして俺はこういうことを“弁える”ことだと思う。

 

 

2022/7/28

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 ジェットコースターを楽しいと思ってる奴キチガイすぎる、食物連鎖の頂点に居る自覚ありすぎだろ。あれ恐怖以外の感情無くなるしな普通に、人の自由落下より早く落ちててそこに居ようとする力では押さえつけられんほどの速さで走るじゃん(物理のことはよく分からんから自由落下云々の話は正しいかどうか知らん)。自由落下より早く落ちるから怖いのかどうかその辺の科学的な理由はわからんけど、少なくともジェットコースターにしがみつく力ではどうにもならんあの感じがやばすぎる。平気な奴とかこれを爽快感だと思ってる奴ってどういう神経してんの? もしかしたら力入れないで乗ったら意外と怖くないのかもしれん、絶対に乗らんけどな。重力を超えていく(?)ことすら楽しめるその気概はどこからくるん、更なる苦しみを知ってるん? あの恐怖を楽しんでいるのか? クソほどの恐怖と安全は保証されてるっていう信頼感のデュオみたいなものを傾聴して嗜んでいるのか? 何にせよ肝が据わりすぎてエグいわ。

 最近カップのメジャーな日本酒(生酒っていうのか)を4種類飲んだから、素人の率直な感想でおいしかった順に並べます。

澤乃井>One Cup 大関>ふなぐち 菊水>白鶴 まる

 澤乃井は比較的スッキリしていて、日本酒の飲んでいるとそのうち飽きっぽい味がしてくるあの感じが来なくて、サイズ感に対してちょうどいい満足感があった。確か甘かったはず、匂いも全然キツくないし缶の炭酸入りの酒飲むより、こいつをちびちび飲んでいた方が日々にゆとりを持てそうな、親しみやすさがある酒でした。One Cup 大関は日本酒のスタンダードって感じで、キリッとしていて日本酒の臭みもちゃんとあって、まあ普通の日本酒って嗜好品として手を出す段階の中では高い位置にあると思っているんだけど、そこで体験できる臭さを手軽に楽しめるのが良いところなんかな。不可は無し、普通の酒だと思う。ただ途中で味に飽きて、「(あーもういいな)」ってなる。ふなぐち 菊水は匂いから味からエグみがあるね、度数19、20あるから。ここまで度数高いと“アルコール”感出て美味しいと感じなくなんのよな、最初は濃い味だと思って喉に堪えるような強さがあったんだけど、段々もうコロナ対策辞めたいになってくるくらい“アルコール”ってなってくる。味は確か辛かった、とにかく濃い日本酒だから「かーっ!」ってなりたい人は飲むと良いと思う。白鶴 まるは正直クソまずい。甘いとも辛いとも言い難い、味がするまずい水道みたいな味する。低級品といった所感ですね、コンビニのおにぎりが澤乃井だったらドンキのおにぎりが白鶴 まるだな。130円くらいで一番安いからアルコール目的の人が簡単に酔える物として買うイメージかな。これは皆で楽しくやってる時の食事のお供として、あの紙パックのデカいやつで飲むって方が良い飲み方かもしれない。

 結論として、普通の大きい日本酒しか飲んだことなくて、非日常性みたいな存在感を感じていたけれども、こういう手軽なサイズで楽しめる日本酒というのもアリだなと思ったっすね。いやむしろ、ストゼロとかより澤乃井の方が飲みを楽しむ俺からしたら合ってるな。澤乃井はマジでおいしかったからこれからも普通に飲むわ。

 

 

2022/7/29

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 上に添付した画像を見てほしい。一瞬シンデレラストーリー......? ってツッコミかけたけど、シンデレラストーリーってそうでもなかった奴が人の手で渋く変身するっていうやつか。そこの構造には納得したけど、自己発信できる場所が出揃ってちゃんと見てもらえる環境なわけだから、それでええやんってなったわ普通に。渋いもん作ってる奴がちゃんと評価される世界とかベストすぎるだろ。「何者かになりたい」が重要なのか、漠然と大きなものを求める姿勢だけ持っていて、そこに誰かが「君にはこの才能がありそうだ」と言ってくれるのを待つっていう感じか。いや普通に瞭然と大きなものを求めればええやん...... 就活やってないところは狭窄な思いではあるけど、なんか大して危機感持ってないんだよな、かといって日々楽天的に生きているかといったらそうではないが。何者かになれなくて苦しい心理がよく分からんな、なんかやったら何者かにはなれね。そこで成功しなかったら“やってもうまくいかな”くて苦しいっていう級に上がると思う。絵描き始めて1年半になるけど、もしかしたらこれは類い稀なる継続力なのかな、周りの奴の方がすげえことを長くやってるからこれに気づけなかったのかもしれない。“やる”趣味ではないけどもう音楽は10年以上追い求めてて、たしかに聴いてて楽しい音楽を探しているのもあるけど、そこにカテゴリーは別れど一番良いやつを探しているのの方が確かな姿勢かもな。求めるものは名誉とか楽しみより真理の方が良いと思う。

 

 

2022/7/30

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 近くの公園で懸垂をやろうとしたんだけどさ、全く腕上がらんくて自分に絶望したわ。多分筋肉を裏切ってきたからこんなに俺は心狭いんやな、苦しみを乗り越えて追い求めるという構造が筋トレにはあるのだろうし、俺はそういうのを経験したことが無かった気がする。作品制作の中で苦心することはあれど、正直筋トレほど苦しいものはなかろうかと思われたほどである。これが続けられる人は本物の精神性を手に入れることだろうよ......

 俺の絵他と比べてマジで意味分からんって永遠に思い続けてるのに、俺はこれをよしとして描き上げて完成としているわけだからほんまにガイジすぎる。見てる絵の何を見てるんだってくらい描いている最中もそれを再現しているような気がしていないし、これ他人から見て誰の絵に似てるか聞いてみたいな。(俺はデジタルオンリーで描いてます)拘りを一つ言うと、線の緩急は全部綺麗にしてあるつもりで、実寸距離0.5ミリくらいしかないやろってやつも消したり濃くしたりしてる(もっとも、実際のことを言うと0.05ミリとかのペンもあるから、更に細い世界ってあるんだけど、分かりやすくこう言ってます)。俺の池沼たるところはさ3px四方くらいしかねえだろってところで試行錯誤する、消しゴムかけたら1pxなくなるかどうかの鬩ぎ合いにあるんよな。でも1px黒から灰色になるだけで全然印象ちゃうから不思議ですわ。そもそもデカいキャンバスでやった方が印刷の勝手も良いしそうするべきなんだよな、デカく描けるペンが作れない。見せ場を精細に描くっていうのは基本じゃん、俺は全部綺麗に描こうとしてるから時間がかかるのなんの、うまく切り捨てられないところに絵の未熟さがあるんだろうな。一番評価されてる絵について振り返ってみると、確かに顔面気に食わなかったんだけど「これでも良いな」って割り切ったやつなんよね。まあただもっとやっていたらもっと評価されていた可能性はなきにしも。めっちゃ運命を見出そうとする節あるんだよね俺、なんとなく改札でSuica裏でタッチしたら今日うまくいくんじゃないかとか、あの時異常なまでに筆箱にストラップ付けてなかったら今こんな作品を発想できていなかったんじゃないかとか、関係ない事象同士が繋がってるかもしれないとか考えてる。過去やったことを今に繋げて考えるのが9割だな。もしあの時あいつと仲違いしてなかったら高2で交通事故で死んでたかもなみたいな。もちろん完全に空想の域ではあるけど、絵はそれが強く出てる部分がある、あそこの線2px伸ばしてたらこんなにいいね貰えてなかったかもみたいな。いいねが全てじゃないとは雖も、実際変な絵を逆張って描いてる自覚あるのにいいね多少貰えてるから、多分俺の感覚って合ってるんだろうなとは思う。いやまあ世の中常に5桁とかいいね貰ってる人と比べたら全然カスだし慢心しちゃいないつもりだが...... いいねが全てじゃないとかいいね貰うためにやってないって言いたくないわ言い訳に聞こえるし、普通にいいね沢山貰えたら嬉しいだろ。いいねって単純に絵の良さを示す指標だと思ってるから、俺は俺の感覚を試すために上げてるところはある、俺自身の“感覚”だけは信じてるから。いちいちこういうことに言及しなきゃいけないの面倒くさいな、日本人は無欲(謙虚に近い)が正しいと思ってる人が大多数いそうだし、別に好きなことしていいじゃんみたいな発言が「やっぱそうしたいよな」「そうだ、そうだ」といった背徳的な姿勢を持ちながら称賛されているのも事実だろう。

 

 

2022/7/31

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 前に「◯◯、久しぶりに聴きましたけどやっぱいいですね」ってツイートを見てよ、それは一体何になるんや。これ好きなんだよねっつってリアルで音楽を再生するのは分かるからいいんだけど、これは何にもなってねえだろ。文字情報だからこそもっと感想を言うべきなんだ。“アーティストを物化する”というのは(保存し忘れて前の文章消えてた)すなわちこのことで、「◯◯が好きな私である」と自分を飾るために放たれた言葉である気がするのだよ。「◯◯は久しぶりに聴きましたけど、やっぱこのノイズまみれの音が私をハイにするんですよね」みたいに、アーティストを“装う”にしても少し出る幕がある書き方をしてもいいだろうと、多少自分のアイデンティティ化をするのは許すからその分アーティストを多少なりとも独立させてほしいと思う。ネットでよく言われる「◯◯が好きな私が好き」な奴ダサいなとかいう言い分はあまり賛同できない。持たぬ俺からすれば自己肯定感はどんな形であれ珠のように磨くべきであって、輝き方はその磨き方によるわけであり、他のアーティスト、他の宝石を並べるにしてもそちらの方も磨いてやろうやということ。◯◯が好きな私でも良いけれども、好きなものも損材に扱わずに綺麗な箱に飾ってやれよということ。もっとも、広瀬アリスみたいな著名人が¥ellow Bucks好きなんて言っていたらそれは意味合いが別だけどな。

 

 

2022/8/1

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 特にネットで誰々の絵(パンピー向けに言うとアニメ・漫画等のファンアートを皮切りに、延長線上にあるそういうテイストのイラストとかのことを指す。本当に知らない奴ってどこまで知らないんかな....... 例えばVtuberの絵の元のデザインをしてる人とかも含まれる)カッケェとかあまり言及したことないけど一応めちゃくちゃ漁ってるぜ。デレマス・シャニマスに関しては多分網羅できてるんじゃないかってレベルで人気なやつは隈なく確認できている気がする。絵を見るだけのアカウントを持っていて、3月あたりにフォローが3300人だったのを700人あたりまで減らしたんよ、だのに今1400人近くにフォローが増えてるからキモいわ。むしろ追えなくなるからあんまフォローしないんどことか思ってるのに、もう世の中最高な奴が多すぎてフォローが止まらん(これ前言ったっけ)。最近俺の中で来てるのがEdoya Inu8(@neko_cer)、游(@stdio_nameraka)、AppleSpider(@spiderapple93)、スガタ(@sugata_dski)、ジュンロ(@QQjnr)、儀式(@gishiki_unc)、小罗XL-(@XLxiaoluodiaofa)、kisaragiyuu(@KISAYU_)やばい挙げたらキリがない、所謂萌え系とかいうのはもう去ってしまって、デフォルメにしても実等身を追った体の描き方などをしている風潮が一つあり主に俺はそれを見てる。時代遡行的な絵もあるにはある、それも昔のアニメみたいな絵柄は踏襲しつつもテンションは現代の性格を含んでいて、表情に対してどこか殺伐としている雰囲気があったりするものもあるんだけど、それも語り出したら終わらんからまた今度で。Edoya Inu8はCCさくらにルーツがあるようでファンアートをめちゃめちゃ描いてる、90年晩期あたりのアニメの感じが伝わってくるっすね。他にもメカ系だったり昔のアイドルの出立ちだったり、いくらか時代遡行的なモチーフで、鈴木英人っぽいシティ・ポップさもあって、しかし表現としては平面的な抽象化を行なっており現代の追っている、いや形作っている。濃淡を用いた色使いというよりは(そういうのもあるにはある)線で分けた面に色をベタで塗っていくような明快な画作りで、動きと洗練された情緒性が綺麗に縫合されている。色使いは時にビビッドであることもあるが、集合するとどれも淡く統合されている印象がある。漫画みたいな爆発や動物の軌跡の表現も抽象化され、激しさを内包しつつ線によって大人しく調整されている。人間にフォーカスした情緒性を色面分割によって精細に描いているがダイナミックになりすぎない、このどこか大人しくライトな表現が現代に強く映っていると思う。暗澹とした物とは游のイラストを言うんであると思うほどに、極限までに暗いテイストを強く感じる(最近目に見えて分かるくらい明るいやつを描いてたけども)。白と黒、目に悪そうなビビッドな色、暗く明滅する色使いの中にイレギュラーなモチーフ同士をぶつけ合った、新しい“闇”の表現を少女を通して表現している。目を背けたくなるような気持ち悪い模様や、歪められたパターン(柄)などを描き込み、強い光と強い影でもって画作りをする、いろんな物を暗く落とし込めている感じかな。まず強すぎるエネルギーしか感じないし、ネガティヴなコンテクストは最近の若者なら憧れるところはあると思うのだけど、これはイデアなのではないかと思うくらいのイラストレーションじゃないか。AppleSpiderはとにかくエロいしかわいいしかっこよすぎる。描く子ぉらはいつも吊り目がちで、Sian氏風にいうなら勝気美人といった風貌で、それはそれは良いんですわ。この手のイラストは現代のオタクくん向けスタンダードだというように思っているのだけど(失礼)、中でも当氏は超越的な美人を描いていると思う。かっこよくて美人な奴が一番やからねしょーみ。露出のところは鋭どい艶やかさがあるというか、ムチムチ系じゃなくて、いや確固たる弾力はたしかに感じるんだが、もっと崇高な輝きがあるというか。落書きアカウントに模写(顔は二次元風に変えてある)が上がっているんだけど、マジでうますぎる上に顔もかわいい、質感もリアリティを追った濃淡というより的確な抽象化がなされていて、しかも画面には背景もなく女の子一人でバランスよく構成されていて、もうマジで誰が勝てんねん。もう一度言うけど、エロい×かわいい×かっこいいに勝てるやつこの世に無いねん。スガタはまみみのファンアートで知ったのだけど、シャープな描き味にリアリティのある人間の重みや高いファッション性がエアリーに描き出されている、俺はこういう人を描写力のある人なのだと思う。人間の全身絵を基本として、ファンアートだから主にVtuberかな? 同士の織りなすコメディをオシャレに出力している。こういう線と色だけの服の立体感の付け方めっちゃ好きなんよな、よく見ると線は粗略なものであったり、まあ絵画というのは何もそこが真髄ではないにしろこういうところに味が出てくるのであって、良い感じの空気感なんですわ。ジュンロは恐らくJKをよくモチーフに描いているのかな、最近ではジャージメイド服なるものを描いていて、それが現代JKの持つ表情を以ってラフな存在感を演出している。JKというより学校で割り当てられた係の装いや制服のアレンジをして素っ気いないポーズを描いていたり、低い表情の表出が却ってイメージを“地味かわいい”という新しい境地へと連れ立っていたり、まさしく彼も現代のイラストレーションの潮流を作る一人なのだと思う。ネップリ登録してたからシールにして俺のマックブッブに貼ったわ。儀式はツイッターで絵を見る人なら見たこと無い人はいないと思う、アイコンもヘッダーもウンコだしユーザーネームはウンチだけど絵がやばすぎる。ごめん寝る。

 

 

2022/8/2

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 普通に日記読み返してこいつ寒すぎやろって思う時あるけど、なんも残さん奴よか100倍マシだと思ってる。

 

 

2022/8/3

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 N.シャンプーの悪口書かれてて涙流しました。

 

 

2022/8/4

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 AIの絵が凄すぎるというのが最近ネットで話題になっていて、たしかに凄いんだけど嫉妬することないし「ウチらAIなんかに負けんゎら」とか「AIには個性無いじゃん」みたいな人間まだ勝ってるしみたいなこと言う必要も無くね。AIって学習したものを綜合して描いてるわけで、それから新しい美術を開拓できるんかな。思考の転換というのが大きくあって、これを洗練する段階で新しい絵画というのが生まれると思うのだけど、AIは例えばモンドリアンの「生姜瓶の静物1」から「生姜瓶の静物2」に至る抽象化のプロセスのように追求して物の見方を変えることができるのだろうか。かつて見たこともないような色彩や形態を持った物体をAIは創造できるかもしれないが、これが何か新しい例えば“非想像的抽象主義”とかなんとかいう美術運動を生み出す、とかいうことができるのかどうか、今の段階では意外性しか伴っておらずやはりそこに名前を付けているのは人間なのだろうと思う。あと、AIいるからウチら居なくていいじゃんみたいな言い分、俺は「俺の真理の探究」の目的をもって絵を描いているから、描くことは俺がやることに俺に対して個人的に意味があるからそうはならんな。まるでお前が提供しているような風を出しているけど、突き詰めて“誰”が作った物かって重要じゃなくね。俺という名前の人がこの絵を描きましたってのは、芸術の本質なんすかね。よく絵は良いんだけど中の人が終わってるって絵描きいるじゃん、けど中の人の人格がどれだけ差別主義者だろうと絵が良いという結論に至ったならばそれは切り離されて考えられるべきで(良いという事実は否定できないため)、その人が不完全であることは絵の完全性に何ら影響しないことが分かると思う。絵画の存在はそこにどんな意図や技法をもって描かれたかというのが一つ重要なエレメントとしてあるのであって、例えばそこに「私の人生」と称して10作の絵があったとしても、それは「こういう人の人生があった」という事実(というか主題)が受け取れることが何より肝要なものであり、それが誰野誰太郎とかいう人によって描かれましたとかいうのは全く本質でないと思う。作者は住所みたいなもので、この作者のもとを訪ねればこの作者の物が見れるという印のようなはたらきをするもので、作者のもとというのが今風に言えばツイッターのプロフィールやオリジナルのウェブサイトや、昔で言えばそれこそ名前を検索すれば絵画が出てくるというようなものである。なので、“俺がこれ作ったんだぜ”ってのはその場の話題にしかならないことで本質ではなくて、“この作品は存在している”ことが重要なのだと思う。名前で包摂されないと絵がアイデンティティを持たないというのならそれは作品と言えるようなものなのかという話でもあり、作品を作る際に人が思考や技巧を尽くせばそれが物に宿るもので、それがそれとして存在するのが一番なのだと思う。自作発言とかいうのは住所を騙ることになるので、それはアイデンティティの問題というより法治的な問題といえよう。自作発言ってマジで何になるんやろうか...... 絵の存在することってだから自分がどれだけの努力をしたかというものの証明になるわけだから、後天的(極めて同時な)に制作者の存在が謳われるわけで、わざわざ「俺の絵や」って言う必要が無い。これが言いたかったな多分、めちゃくちゃあることないこと書いたけど。めっちゃ整理すると、「私の思考により作品を制作する→制作物ができる→制作物にある思考が評価される・制作物の存在により制作者の私が自ずと証明される」というのが正しい構図。でも意匠について考えたらまた別の問題が出てくるな、もう書くのめんどいので書かん。

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 このポスター頓知が効いてるなとは思ったんだけど、これでDV収まるんかね。DVする奴ってマジでただの予想だけどさ、子供や交際相手がかわいいからするってのもあるんじゃね? かわいくて愛らしいというよりかわいくて殴りたくなるというか。征服欲が強い奴が振るうものも一つあると思うねんな、だからこういう弱々しい子供のイラストは却ってそっち方面の奴らに暴力を連想させてしまうような気がする。DVは同情で収まるもんちゃうと思うけどな。いや待て、この広告ってあくまでも相談窓口の宣伝か、だったらパンピー向けのこういう同情を煽るものの方が適切というわけか。いやでも相談するのは被害者の方か、受けている暴力をDVだとどうしても決め込めない被害者に「それはDVなんだ」と言っているポスターってことか。納得したわ。なんやこのやりとりは。

 

 

2022/8/5

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 自分の面白みを理解してる奴強すぎだろ。自分の趣味を前面に出せる奴どんだけ周りに理解者多くて趣味を肯定されてきたんだよ、どうして俺は子供より上に居れれば良いとか思ってる自己中なカス野郎の下に生まれてしまったんだ。てか自分に対して自己中ならいいんだけど、他人に対して傲っているのはどうなん。趣味を恥ずかしいと思わない奴マジで理解不能すぎる。そりゃ俺も趣味を前面に出してえけどよ、それは全然完成度が低いというか他人より深みが無いなと思って出すのに気が引けてんねん。でもよ、趣味を前面に出せるほどの自己肯定感の高い奴はこんな卑屈ガイジの気持ちなんて分かんねえだろうし、次々と同様己が趣味を主張する者同士との繋がりを増やし続けるだろ、そういう環境にいたら自己肯定感の低い奴らなんか目にも入らないだろうし、特に「趣味教えて」なんてことをコミュニケーションの中で言うわけがないよな。だから俺に人寄ってこねえんだろうな、趣味を表に出しながら生きていないし、人って人の中身を覗きたくて話しかけてるんじゃなくてよ、人の目に見える部分に共鳴してるってことなんよな。だから何も表示しないおもんなカス障害者君ことワシが誰の目にも留まらないのは当たり前なんだ。なんでSNSって人と繋がれるかって、そんなん趣味を表に出してるからやんな。SNSって顔出さないじゃん、ただでさえキモい顔面してるのに(冗談で言ってないからな、本当に自分の顔嫌い)趣味を身に纏ってたら歪でおかしいだろ。胸囲70そこらなのにHカップのブラジャーしてる奴とかおかしいやん。趣味に俺自身がついて行かれんから嫌やねん、身の程を弁えていないようにしか見えないしそんなら下衆な格好ばかりしていたいわけだ。こんなこと書いてても誰にも共感されないだろうな、趣味に負い目を感じてる奴とかほんまの自分嫌いしかいねえもん、見てきた中でそんな奴はいなかった。いや、負い目を感じてる奴ならいた、たしか「俺を好きになるような奴とは結婚したくない」とか言ってたな、なんか本気そうだったし俺もマジでそう思うんだけど、そいつはちゃんと趣味で繋がっている奴らがいるし俺とは次元を別にしているよな。趣味で繋がってる奴とか2人くらいしかいないし、将来本当の孤独が待ち受けてるよな。ただ、逆に言えば身なりさえ見られなければ俺の趣味を公開できるわけだから、例えば就職するために会社に俺の作品集を提出するとして、面と向かって俺はこれが好きなんですと言うのは憚られるけど、書面の上では趣味の限りを尽くして書いているわけだ。......だからいつも俺だけ顔面が無くても世界が何事もなく回ればいいのにと思っているんだよ、他人は俺という人間像の“顔面”のみ像の整合性を訴求することがなくなればいい。正直俺は見た目至上主義というか、これもいちいち説明したいのだけど、見た目を整えるというのはその人の願望が達成度は低かれど現れているもので、それが良いものであればあるほど中身もそれなりに良いのだというのが俺の考え方で(美意識の問題で、学識とかいうものは除外される)、見た目が良い奴とつるみたい欲はあるんよね。それはかっこいいとかかわいいとかじゃなくてさ、例えばハイブランドのモデルの顔そんなかわいくないけど服はその良いスタイルと素朴な顔にめちゃくちゃに合致しているとかいうことがあるじゃない、そういう整合性が取れているという意味で見た目の良し悪しが決まっている。高校の友達はもう付き合いが6年以上あるから省くとして、大学からの付き合いはもうそれで限定されているな。見た目が気に食わん奴とはあからさまに会話に取り合ってないと思う、ぶっちゃけると。てか“ぶっちゃけ”って語感キモくて使いたくないんだよな。自分の見た目を他所に置いて本当に目だけは豪奢な奴だ。誰かが言っていたけど、自己否定の激しい、有り体に言えば鬱気質の奴って芸術に於いて発揮するところがあって、その所以たるのが自分のやり方とか司っている分野だけは肯定しているのだということで、俺はそう、前にも言ったけど自分の感覚だけは信じてるからこの姿勢はやめる気になれないな。

 

 

 

 

僕・私たちの心の在処を探す本 [運命の温もり編]

2022/7/17

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 「これマジでなんなん?」っていうツッコミというかこれおもろいよなみたいな話の振り方するんだけど、割とガチ質問に捉えられるのかマジレスされることが多くて、変えた方がいいのかもしれんと思った。分かってて聞いてんねん、これ意味分からん、いや分かってて分からんフリしてんねん。ガチで分からんかったらかなり説明的に質問するから、それとの区別をどうか分かってほしい。お笑いをしたい。[追記2022/7/19]「これなんなん?」は質問で、「これマジでなんなん?」はお笑い、この差ってあるよな。

 

 

2022/7/18

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 今週は課題の最終提出で作業まみれだからマジでこれ書くの忘れる。中高で聴いてたボカロ曲、それも割とマイナーなやつを偶然Spotifyで見つけて懐かしがってた。思えば、俺が聴いていたのはロックが多かったな。小学生の頃の車の中で流れていた音楽は後の好みに影響するというのはメジャーな話だけど、俺の場合は有名なJPOPアーティストだった。ORANGE RANGEを異常に聴いてた。当時はアルバム「ИATURAL」しかCD持ってなくてな、特に夢人とWinter Winnerとお願い!セニョリータみたいなハイテンションなやつと、yumekazeとre-cycleみたいなメロディアスなやつを聴いてた。俺の音楽のルーツはもともとJPOPの、進行があるメロディーが前提の、表情の掴み取りやすいというか聴いただけで考察もいらずに感じ取れるというか、まあ分かりやすく展開のある音楽なんよね。他にはスキマスイッチのゴールデンタイムラバー、Aメロの足取りの悪い道を進むような雰囲気が好きだな、あれはアウトロがマジで天才だよな、音楽用語本当に分からんのだけどコード進行が美しいのがめっちゃ好きでこの曲はこの好みの根幹に居る気がする。東京事変の修羅場は革命よ、夜の都会で目を光らせるような雰囲気のメロディーでさ、サビ入りのドラムでバキッと水が一瞬で渇くみたいなかっこよさがあるのよ。2サビ後のあの視界のぐるぐるとぼやけるような音と歌声も良い、アウトロがマジでキモいほどかっこいいよな、音減ってギターだけになってよ、これで割とメロディアスじゃないやつも聴けるようになってるんじゃないか。Acid Black Cherryの20+∞Century Boysはアシブラの明るい方のやつで、まあSPELL MAGICも好きなんだけどあれはエロソングだからな。サビの「未来を変えて 夢と絶望を両手の中に」のとこの音程めっちゃ好きなんよ、“未来を”でめっちゃ高くなんのな。明るい音楽って普通に好きだな、てかこの年代のJPOP(アシブラはロックか)って前向きって感じで本当に雰囲気大好きなんだよね、米米CLUBの恋のギャンブルとか完全に途中まで現代でいうNTR展開(正しくは違う)だったのに、あの子は奴と付き合ってるけどまだ諦めないってちゃんと恋に燃えてて良いのよ。くるり赤い電車ね、ガキの頃はサビ無いと聴けなかったのにこれだけは聴けたんだよね、中毒性高い、「君住む街へひとっ飛び」歌詞も楽天的で良いわ。あとシドは欠かせないっすね、正直歌詞気にして聴いてなかったからなんで小坊が2℃目の彼女歌ってんだよって感じだったんだけど汗 夏恋が異常に好きだったね、サビの音程が最高すぎる、本当に夏の夜に花火見てる感覚になってすごい。ORANGE RANGEの延長線でUVERworldのシャカビーチ~Laka Laka La~を聴いてたのと、CHEMISTRYのLife goes on ~side K~でエレクトロなJPOPも聴いてたのと、サカナクションアルクアラウンド、ゴスペラーズのラヴ・ノーツ(もう本当にメロディーや音程を愛していた)、ONE OK ROCKのDeeper Deeperみたいなダークで派手なやつ、SPYAIRサクラミツツキ中島美嘉のGLAMOROUS SKYみたいな前向きなロック、三枝夕夏 IN dbいつも心に太陽を島谷ひとみのANGELUS-アンジェラス-みたいなフラメンコ踊りそうな感じの曲、かなあ今思い出せるものは。音楽知識は無いけど良さならいくらでも語れるからね。中坊時代も含めるともっと音楽聴く幅が広がるんだけどもう書きすぎてやばいからとりあえず後日また話します。

 最近の音楽趣味も現在進行形で広がりまくってるからなあ、オタク汁止まらん系聴いてると思ったらバチバチのグライム聴いてる時もあるしな、1 800 PAIN聴いてると思ったらBrian Crain聴いてるしな。ヘイトスピーチゴミだからこれから音楽のこと日記に書こうかな。

 

 

2022/7/19

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 自分が女になってて、ブラの付け方分からんかったから友達みたいな女に「付けてー」って両手挙げるポーズして、「また付け方分からなくなっちゃったの?」て友達に言われながら付けてもらってる間、「(俺こんな胸なかったっけ?)」てささやかな自分の乳房を見続けるっていう意味の分からん夢を見た。巨乳にしてほしかった。

 前同人絵描き4人が集まってただ喋るだけのツイキャスラジオを聴いていた時に、話題が「ボケとツッコミどっちやりたいか」になって全員の回答がボケやりたいだったのね。ボケって相手のツッコミ次第でどうにでも転べるし、ツッコミは外す可能性があるから安定さに欠けるということで。俺は絶対ツッコミやりたい派だったからマジで意外だった、その4人は結構錚々たるメンバーでたまたまマイノリティがそこに会したって可能性はあるけど。俺は普段あんまボケないから逆にボケ方分からん、異常行動をするという点では一発ギャグはするよってことにはなるが、基本友達との会話って言ったことに対して「いやそれ◯◯?」みたいな例えでツッコんでるからな。ボケって完全に創造じゃね、俺はお笑いだけじゃないけど与えられた物をどうするかって思考が底にあるから(俺がエディトリアル・デザインがしたいというのもそれから来る)、ある物に意味を持たせるって考えが先行してツッコミしたいになる。てかボケの方が難しいまであるくね。ツッコミが話の流れを作る人みたいになってるけど、ボケが方向性を決めることでお笑いの全体像が芯を持つこともあるじゃん、前にツッコミが「いやポケモンジムか」ってツッコんだら今後その流れを汲んで“ポケモンジム”の中でボケをしていくことにならん? その方が断然難しくね。ボケが端を発するとなると、「ポケモンジムか」ってツッコんでもらうためには例えばモノボケで複数の物を配置してジムの構造みたいな複雑な場面を作ってみるとか、絶妙に目が合わなくてバトルにならないジムトレーナーみたいな素振りを演じるとか、しかもそれに気づいてもらえるくらい(場合によってはあえて分かりにくく)解像度を調整しないといけない、難易度は格段に上がると思わん? そもそも俺はツッコミの方が例える楽しさがあるからそれをやりたいって話だな。

 

 

2022/7/20

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 もう二度とチャミスル飲まん。「ファンタでええやん」ではいられなくなる。

 

 

2022/7/21

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 大学のプリンター使用にあたっての生徒の素行が悪すぎてクソほどウザい。使った人は名簿に名前・学籍番・使った紙のサイズと枚数を記入するって感じで管理されているんだけど、今ではそれがゲーセンの順番待ちみたいになって、名前書いておけば順番にセーブできるってシステムにいつの間にかなってる。書いて待ち椅子に座ってるだけ音ゲーマーの方がマシだわ、奴らどっか行くねん名前書いて。お前居なかったらやるんかやらないんか分からんし来なかったら普通に飛ばしたいんだが、待ち椅子って概念もないのはしゃーない(パソコン作業室と同室なので、空いているパソコン台の椅子が待ち椅子代わりになることはある)が、そこは「待ってます」感演出するためにもそこに居とけよ。こいつらほんまに自分の利益のことしか考えとらん、こんな自分勝手な奴らがデザイナーになれるんでしょうか? 自分の部屋だったらいいけど、いろんな奴が使う場所で椅子散らかしっぱなしにするとか普通にただのゴミ野郎だろ。美大生は自由で良いとか美大生って変な人多いよねみたいな一般の価値観にあぐらかくな、素行が良い奴のが良いに決まってんだろ。作業室も机は四散しカッターがどこにあるのかも分からない、身内っぽい奴らで固まって何やら楽しそうなお話をしてやがる、俺とか人が部屋に入るとそっちに目を向け(それは反射的なものであるのはわかっているが、向けられた方は非常に不快感を被ることだというのが奴らには理解できていない)なんとなく排他的な視線に感じる。ほんまにこいつらバカ以外のなんやねん。そういう奴ら決まって声デカいねん。変な奴なんか普通に排斥されるべきなんだよ、一番問題なのは変さに気付けなくて周りの目が見えないところだろ。変さが認められてる奴ってそこに思想があんねん、思想っつうんは数学の数式を順序立てて解くことができたり英語の文章の書き方をしっかり弁えていたり、しっかり体系化して物を考えられるところが大元の基盤としてあんねん、それはちゃんとルールを遵守できることも含まれるねん(ルールをあえて無視するというのは、これができてからじゃないとできないことだと俺は思う)。思想があるから根拠があって、構造ができるから変さが確固たる主義・主張・運動になんねん。不快極まりないのと斬新なのは全く違うからな、マジでプリンター綺麗に使ってほしいわ、できねえんなら家でNetflix見てクライナーファイグリング飲んでセックスして寝てろ。

 今日の作品提出で、主体的に俺の経験として必要だなと思って完全に丸写しで画作りをして出したんよ(字の組み方などの点で)。型を知らなかったら破る型も無いというか、一旦形式に丸々沿ってやってみるべきかなということで。そことは関係なく作りに思考が巡ってないとかいろいろ指摘されたところはあるんだけど、様式があってそれに則ってるってのは向こうもプロだからすぐ分かったんよね、だからオリジナリティーが見えてこないというようなことを言われた。当然オリジナルではないわけだけど、逆に俺がこれまでオリジナリティーを出してこれたかというと「そうなのか......?」とはなるよな。思想的にはあるかもしれんがオリジナリティーというよりは、君しかやっていないだろうけどそれは未熟だよね、みたいなことだと思う。村上春樹の「職業としての小説家」ではオリジナリティーを持つ者の定義の一つとして「スタイルは自らの力でアップデートできなくてはならない、自己革新力を持っている」者と概ねそのようなことを書いていた。沿革として俺の作品群を見たら洗練されているところはあるなという印象はあるけども、これが自己革新力であるかどうかは分からない。俺は簡単に感動するタチだから、特に本なんかはしっかり文章が考えられて書いてあるでしょう、すぐに感化されるよね。受けてきた影響がどれだけ表現の振幅に侵食してきているのか。村上春樹曰く、オリジナリティーは出たばかりの時期ではなかなか認めてもらえず(むしろ批判的であって)、死後とか後々になってやっと大衆に“古典”として広まるものらしく、そうなるとすればもし俺にオリジナリティーがあったとして、俺は批評家に論じられるとしたら誰のデザインを踏襲してるかとかが分かってもらえるものなのだろうか。そしてそれは“古典”にオリジナルとして参列するのか、それとも何か時代の大きな奔流の中のちょっと目立った流木にすぎないのか。というか、先程型だのどうの言ったけど俺自身別にオリジナルであろうと思ったことはないから、オリジナリティーが見えてこないのは当然であって、しかしオリジナリティーはこの大学(というか今日の講評の教授)で求められているものらしく、そこが気に食わんかったな。オリジナリティーの訴求先である作品提出の本質とは全く関係ないプレゼンシートはありえんガチった。試行錯誤をするのは、どう配置したらこの物の良さが伝わるのかという検証でしかないから、ここから俺という定型が出来上がるとは思えん。俺のオリジナリティーは必要無い、俺は物の良さを如何にして伝えるかを考えたい、それはもしかしたら無数のオリジナリティーを生まんとする行為なのかもしれない。

 

 

2022/7/22

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↑今期最終日だったから最高の昼飯食った(チョレギサラダ、破られたレタス、サーモンの切り身)けどそういえばダイエットのために昼飯食わない宣言した直後だったし今期最終日でもなかった

 唐揚げにレモンかけなくね? レモン汁みたいなエリア作ってそこにレモン絞ればよくね? レモンかけるのも塩振るのもそのままも好きだから、レモンかけてそのアソートができなくなるのは勿体ないと思うわ。

 俺が勝手に頭の中でやってるニセ呼称集

・ディズニーランド→ネズモイランド

・渋谷→ブヤシー

ユニクロ→ユニシロ

・GU→グー

・町田→6番線(←俺もよく分からん)

いなげや→なげや

デレステ→デデステ、メメステ、ぺぺステ

・Devastating Blaster→デバステ村

バレンシアガ→バレンシアナル

一ノ瀬志希→ヌソしき

・USB→ウルトラスーパー勃起メモリ(友達が言ってたのを真似した)

・ぱいしぇん(同人作家)→おっぱいしぇん(←マジで失礼)

・Supreme→サップレメ

 

 

2022/7/23

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 珍しく教授にクソイライラしてる。ネタでアホにすることは多々あるけど基本尊敬してるから全部冗談なんよね、でも木曜の教授が絶妙な貶し方をしてきたからウザい。講評でダメなところを言われるんだけど、めっちゃ遠回しに言ってくるから何遍も言い返して何が言いたいのか聞き出して、4回目(ニュアンス)くらいでやっと「その辺にあるもので作ってくるのはどうなのかなあ」って言ってきてさ、最初からそう完成度が低いって言ってこいやって思うわ。当人は基本褒める姿勢を標準としてて、言ってこないんよね人が傷付くようなことをさ。別にええやん最初から「雑い」って言うくらいの率直さの方がその後の会話がそれを念頭において行われるから、こちらも分かりやすいと思うんだわ。遠回しに言ってくるのは陰湿で嫌だわ。多分陰湿さを明確に持ってやってるわけじゃなくて本当に褒めたい姿勢を持ってそうでさ、でもそこに傷付けたくないというのが真裏にあるような後ろめたさみたいなのを口吻から同時に感じてさ、その素直じゃない感じおかしいと思うわ。別にいいじゃん、教授って立場は上から目線でも良いと思うんだけど。教授になるレベルで美学を収斂してきたというか、人並み、いやプロ並みならぬ観察眼があるなら、上から目線でもちゃんと良い物は分別できるんだぞっていう魂胆の担保は十分に成り立ってると思うけど。なんか人を俯瞰して見てる奴カスみたいな風潮あるけどさ、マジの渋い奴が下から来たらこちらはもう何もできなくね? ズバッと言うところにも頼り甲斐って出るから言うなら言ってほしいわ。てかその辺にある物で作ってねンだわ、わざわざ新宿のハンズ行ったのにガラクタにしか興味無かったから買ってきた物がDIY初心者の冴えない50歳男性みたいになっちゃっただけやねん。基本的にその先に創造性が見込める物を欲しいと思わんから、その程度な物に真面目な眼差しを送ってしまっている俺がガイジなだけやねん。黒いゴミ袋でパッケージ作って行ってごめん。

 

 

2022/7/24

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 好きな曲語る会開催するか。中一になって俺はやっとインターネットに触れた。それまでDSとかWiiとか持ってたけど、インターネットはやらなかった。友達の家でYoutubeの面白動画見て腹抱えて笑ってたし、グラセフのチートやってるとこ見て息出来なくなるくらい笑ってたけど、俺の興味の先にあったは率直な笑いではなくもっと深みを誘う文化だった。iTunesで曲が買えるようになって、いつも旅行へ行く時に車内で聴く音楽を買おうということで1500円分、1曲だいたい250円だから両親が1曲ずつで俺と弟で2曲ずつ選んで買っていた。それまでディグるとかいう行為を知らんかったから小坊時代に聴いていたアーティストの他の曲の存在に驚いて、試し聴きの30秒程度の中でグッとくる曲をずっと探してた。アニソン(といってもJPOPに分類されるくらい大衆向けの)を特に聴いてたな、シドのV.I.P.はあの勢いが良いよな。「スタッカートに」のとこのギター(?)の音だけピリッと入るやつがクソかっこいい。あとラスサビの「さあ 撃ち抜け」のまだ終わらねえぜ感の興奮がやばすぎる、弦楽の音が急降下すうようなメロディーを奏でているのが目まぐるしくて、あれほど疾走感のある曲を俺は知らんかった。ねごとのカロンってCMの曲だったよな? 途方もない空間を泳いでいくみたいな音楽の壮大さがめっちゃ好きなんよ。「はだしのまま飛び出たベランダで」の場面変わってく感やばいよな、「見上げた空に両手を伸ばした」で一気にその大きな世界に落ちていったような、ワクワクが止まらんすぎる。確かそのあたりでけいおん!を見たからふわふわ時間聴いたのも中一だな、サビの「二人だけの」のとこの副旋律って言うの? がメロウに音が変わってるとこが狂おしいほど好きじゃ。これ分かるよな、副旋律の一音がちょっと下がったり上がったりするだけで雰囲気が変わるやつ、こういうトリック(というほどマイノリティーではないし隠されてもいない)めっちゃ好きなんだよね。あと澪先輩の五月雨20ラブ、シンガーソングライターの曲ってこうなんだろうなっていうのを当時感じ取ったわ。こういうライトさも良いなと、幅が一つ広がったわけです。そして俺の中で大きな大きな出会い、ゲスの極み乙女のキラーボールを初めて聴いたんだな。こんな捻くれた雰囲気のメロディーが存在するとは思ってなかった、これだ! って思ったね。サビになるとそれが開放的なメロディーに変わる、吹っ切れたみたいな、でもそこには安堵を孕んだ諦めのような、それは前向きな気持ちなんだけど、そういう平らかで複雑な雰囲気になる。ピアノが全然重くなくてさ、音楽が電子音でグランドピアノを演出したがっていなくてさ、なんなんだろうなあの軽快さ。何人かが同時に投げたボールがバウンドを繰り返しているうちに、いつのまにか一つのボールになっていたような、出来上がりに重厚さを感じない音楽だった。ゲス乙女はマジでやばかったね、ノーマルアタマとか、無垢な季節とか、いつも軽い足取りで新鮮な音楽を届けに来てくれる。椎名林檎を初めて聴いたのも中一だったか(東京事変は聴いたことあったけど)、孤独のあかつきはほんまに涙止まらん。「解き放てよ」の声ガチでやばい、これほど頼もしい号令があっただろうか? 前向きすぎるな。初めて耳にした時はYoutubeでショートバージョンしか聴いてなかったから、リリースされるのをずっと待ってた記憶あるわ。あの頃は楽しみで仕方なかったな、サブスクとかで便利になる前のお楽しみみたいなのもなかなか良い文化だったよな......(今もまだあるだろ) ClariSのコネクトガチ神曲すぎて目鼻口から水垂れ流しとったね。メロディーが普通に好き、実は当時まだアニメを見ていなかったので、アニメ補正がかかって再評価したのはまた年が経った後の話。あとはONE OK ROCKの未完成交響曲、藍坊主の星のすみか、チャットモンチーのとびうおのバタフライ、凛として時雨のabnormalize、ORANGE RANGEのO2、Mass Alertの僕の手は君の為に、UVERworldのTHE OVERとかかな。リリース年度調べながらやってるんだけど割と合ってなくてもう適当に書いてるわ、好きなのは確かだ。まあでもまだJPOP的音楽の域を出ていないな、それからボカロ曲も聴きだすんだけどそれはまた別の日に書きます。あと吹奏楽部に1年だけ入部していて、行ったコンクールで聴いたたしか四重奏の5拍子(?)だったかの音楽に魅せられた覚えがあって、名前が分からんからずっと調べられんくてもやもやしとる。オーケストラとか弦楽団の音楽も聴けるようになった。

 最近全然音楽聴く気になれんやばい、いや聴いとるんだけどずっと同じ曲聴いてて新しい曲聴いてない。でも土日で朝イヤホンしながら新しいアルバムを聴くようにしたから、それが続けば感覚を取り戻せるかもしれん。1月は349曲も好きな曲見つけたらしいからな〜(新しく聴いて好きだと思った曲を月ごとのプレイリストに入れているのでカウントできる)、先月は144曲だったからかなり落ち着いた。1日20曲は見つけられたとしても600はいく計算になるから、それでもまだ聴く量が足りないよなあ。

 

 

 

 

 

 

 

電波系ソング人気曲厳選7800曲メドレー🎶

2022/7/7

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 上に添付した画像を見てほしい。「処女を奪う」という言い回しが寓意に近い表現だったことを思い出させる実に簡潔な文である。なるほど、確かに処女と姦通したならば処女は男が掠め取ったことになろう。関係ないけど面白い説があって、三島由紀夫の「不道徳教育講座」では、あることから処女を奪われてしまったと錯覚していた女が自らの“非処女性”に苦悶し、のちに婚姻した男との初夜を迎えた時に非処女であることで顔向けがしにくかったが、男が彼女の処女膜を確認して大いに喜び女はそれまでずっと勘違いをしていたことに気づく、という物語を引用している章がある。結局守ってきた処女を見込んだ男にしっかり捧げられたわけだけど、それまでの“処女を失っているという意識”と“処女をまだ持っている肉体”の齟齬が、なんだか彼女を損にさせているようだった。どうやらその本では精神的処女と肉体的処女が別々にあって、好きな男と寝ても処女のままだけど嫌な男と寝たら処女じゃなくなるとかいうのがかつてあったらしいし、処女でいることの価値は現代では年齢によって変わったりするものだし、抜け出したら一風変わった感じが出る童貞とは世界が全然違う。精神的童貞は及んでいる際の手順が覚束ないとか思いやりが無いとかいうことなんだろうけど、俺は女性は受け身な姿勢だと思ってるから(それが悪いとか言うんじゃないし、男は受け身な女をエスコートする義務があるとは思う)精神的処女は完全に主観的に有無が変わる。女は女で心構えの都合を合わせるのが大変そうだよな、男はなるべき目標があるから迷わない(至るまでの紆余曲折はあろうが)。上の画像の話も交えてみると、男は一体どの処女性を獲得したのだろうか......

 スーパーのカゴはなんでも放り込みたくなるから悪魔的だよね。前も昼飯は400円で済ます予定だったのに生サーモンの塊を入れたし、炊かれてある米を入れたし、キャベツの漬物を入れたし、スプライトをいれた。だから700円くらいになった。というかスーパー自体あんま来ないからスーパーが悪魔やねん。特にドレッシングコーナーはまずい、10本くらい買って昼夜で毎回違うやつを盛りキャベツにかけたくなるし、男梅シリーズの商品があちこちに点在しているし、それこそ刺身の塊が売ってる、コンパクトに切られてるから値段も抑え気味で安いと錯覚して買ってしまう。そしてまな板の上で寿司職人がどれだけ形を作るのが上手いのか気づかされる。やっぱ梅干しシートのが美味かったかもしれないと後悔する。いや、男梅サワーは美味い。というか男梅って何の商品が原初だったっけ。最も大きな後悔は、男梅サワーはドンキの方が安かったのを思い出すことだ。ドンキは内装の雑多さから却って我々に冷静さを思い出させてくれるが、スーパーは整然としていて効率よく品を取りやすくしているところが狡獪で奸智で憎たらしい。

 

 

2022/7/8

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 皆何かしらのステレオタイプを踏襲しているような見た目だったり、ステレオタイプだったりしているように見える中、俺自身はどういうステレオタイプの内に分類されているのか、いやより正確に言うと何かのステレオタイプたりうる者でありそういった合致が世間では違和感無く認識されているのかが不安になった。見た目というのは顔の形とかパーツの置かれ方とか、身長とか部位ごとの大きさのコントラストとか、着ている服とかが合わさった総合して視覚的なことである。例えば、クラスにいるあいつは目が細いけど体は太い系統の人間①に該当するな、今すれ違ったサラリーマンは水を被ったような纏まりの疎らな頭頂部を持つ系統の人間③に少しばかり足りないくらいだな、今日の講義の教授は石原さとみ似だけど唇は薄く見事に美人から外れた整合性の無い顔だ、みたいな風に今まで見てきた全ての人をカテゴライズしてきた。これは経験によるものだとは思うけど、いつから見る顔に意外性を感じなくなったのかは不明である。どんな人の顔を見ても外傷とかがない限り違和感を感じなくはなった。しかし、これが俺の場合も周りから見てそうなのかが疑問で、不思議なことに俺は自分をカテゴライズできないのだ。だから、俺は世の中に馴染めているのか不安になる。前もこんなこと書いたな多分、どんだけ人の目気になんねん。

 鍋奉行とか焼肉奉行とか居てくれると普通に助かる。ティーダのチンポきもちよすぎだろってのが散見されるんだけど、淫夢の一番メジャーな「いいよ!こいよ!」とか「胸にかけて胸に」とかみたいに遠回しに言うことに趣きがあるのに、直接チンポって言ってるのが流行ってるのが腹立つ。壱百満天原サロメが「してあげたからしてもらえる、と言う考え方は辛い人生になる」とか言っていたらしい、俺は常々言うように傲慢な奴が一番嫌いだから、“してやった”って考え方に至るのがそもそも納得いかんしカスだからオデもウユチだとおもわます。趣味が仕事の息抜きだと考えるのはおかしい、というツイートを見かけた。俺もそう思うけど、戦後あたりを舞台にした小説をよく読んでいて(オススメされたものが略そんなものなので)、昔の人はそうも言ってられないのがすげえ分かったし、あまり強く否定できないな。まあ趣味を仕事にできてる人は努力の方向性をしっかり定められている人なんだろうなとは思うけどな、逆はそうじゃないということ。結構人気のエロ絵描きが「クリエイターなら自分と同等以上のの同業者に対しては尊厳を守ろうとする節があるため、急に距離を詰めてくるようなクリエイターは相手を格下だと思っている場合が多い。やたら会いたがる人には注意するべき」ってことをツイートしていて、なんかタブーの深奥を掘り起こしたようなこと言っててやばいなとまず思ったわけ。こんなことは誰もが認めたくないのに言っちまうんだな、マジで大物すぎる。会いたがるってのは個人的に行動力から来るものだと思うから決めつけるのはまだ早い気がするけど、前の文は俺が見てきた件数が少ないから確証は持てんが、数ヶ月前では馴れ合っていたのに今フォロワー数に差が出て少ない方が多い方に気をつかいだす、距離を置き出すってのは見たことあるな。距離を置く、嫌われないように目に触れられる機会を減らすことだよな。いや、人の抗えぬ本能的な反美徳行為って見ていて本当に愉快だよな。

 

 

2022/7/9

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 EカップとYカップとQカップの乳房が肩と肋骨と太ももの内側に6000個ずつ付いてしまいました。

 

 

2022/7/10

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 投票率クソ低いらしくて、投票行ってない奴カスやんみたいな言い分がツイッターでは称揚されていたんだけどさ、投票とかマジでつまんねえし行きたくならんだろ。俺は土曜に行ったけどよ、コミケより酷え体臭の奴とか居て選挙とは全く関係ないところに不快感を感じたわ。偉ぶるのはいいから、その正義感を自分の生活に染み込ませろや。日本の未来我々の将来以前に、投票するという行為が死ぬほど面倒くさい。現代の活発な世代の性質を理解するべきだ、大学生なんて1週間後提出の課題も6日経過するまで手を付けないのに、何年後とかの話しても誰も動かんだろ。ネットでできるようにしてくれんとやらんぜ。自分はおもろいかおもろくないかって価値基準を大きく持ってるから、現実的な解決策が思い浮かばんな...... そもそも投票ってなんで決められた場所に行かないとできねえんだ? ハガキで入れたい奴書いて送るとかでもいんじゃね知らんけど。うちの大学のM教授がおもろい視点で選挙について話していて、「上の世代の女性たちが勝ち取った選挙権なんだから、特に女子は行きなよ」つってたんよね。いや別にすごい新しい視点ってわけでもねえな、確かに女性の対投票意識にはかかる重みが違うよな。まあよ、投票行かないってことは自分たちの未来がどうなってもいいのね!? みたいな言い分本当に気持ち悪いからやめてほしいわ、おんねん環境で規定された正しさに則ることでしか強く出れない奴、結局テメェも人を下に見ないと気が済まないカスやんけ、同じや皆。行かなかったら最低って言うより、行ったら最高って言った方が同調的になれるような社会になってほしいです。

 

 

2022/7/11

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 重力に身を任せると安心するのかもしれない。

 

 

2022/7/12

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 「為人が好きで見ていた人が数字のことを言い出して辛い」というような文面のツイートを見かけた。辛い、つまり自分の解釈よりねじ曲がり始めて納得がいかなくなったというわけなんだろう。また絵描きが言っていた話にはなるんだけど絵描きが主題ではない。数字は表情を持つだろうか? 数字は無機的な代入にすぎない、いや無機的って言うのか、数字は悪魔じゃない。いくついいねが付かないと不振かもしれないみたいな物の考え方ってそんなに悪いか? 最近になって分かりやすく物の良さが数値化されて———ツイッターとかネットの類いの———それを稼ごうと思うのって別に邪な考えではないと思うが。数字を稼ぐのがダメなんだったらもう認められるのをやめるしかないだろ、まずツイッターに絵をあげないで有名な芸術家の元に持っていって指導蒙ればいいだろ、数字が嫌いな人は。しかしそうじゃない、自己表現が簡単にできる時代、だからお前もツイッターでそんなことを言ったんだし、絵もそうだろ。ネットで数字を得るのは物が良いとか時代に阿るとかいう話じゃなくて、自己アピールの話も出てくるはず。どういうプレゼンテーションをすれば人から良いと思ってもらえるのかを考えることも深く関わってくる。良い絵なのに全然いいねが付いてないとかいうのはそこに気がまわってないからのような気がする(プレゼンテーションは絵にタグを付けるのかキャラ名を付すだけなのか、はたまた自分のプロフィール欄は適切かどうかといった形式的なもの。例えば大手金融会社のプレゼンでキャバクラのメニュー表みたいなパワーポイントを作るわけにはいかないだろう。そのくらい極端なこと)。これらを総合して得られるものが数字なのであって、これを欲する・目標にすることが間違いだとは思わない。まあ数字が喜びにすぐ変換されるっつう情動の即物的な構造の存在は否定しないが、長く・多くの研究・努力して出した結果数字という一要素だけで舞い上がれるなら逆に謙虚だろ。それはさすがに詭弁だけど、数字の下には利己的なところだけじゃなくて客観視とか切り捨てとかもあると思う、一概に承認欲求に取り憑かれていると考えるのは柔軟じゃない。というかいつになったら承認欲求は悪いものじゃないって分かるんだ、良い悪いとかじゃなくてさ、大人になれよ、承認欲求を許せるようになれよ。まあでもいいかもしれない、承認欲求を責めたいって欲求に渇きがあるなら、それは一つの野心で当人の芸術志向の原動力になっているのかもしれない。最近冷静になると全部許せるな......

 俺の一般知識理解度コーナー

外資系企業が何なのか今日初めて知った

 

 

2022/7/13

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 眉間でサラダ油を叩きました。

 

 

2022/7/14

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 俺がDiscordで使ってるニックネーム一覧

・韓国人観光客

・漢文満点

・4字熟語

・大好きクラブ

・中国

・マンコ

・喋らないと補導

・ウエルシア薬局

 

 

2022/7/15

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↑賛成に決まってんだろ

 最近人の産毛数えてるからこれ書くの後手後手になっててやばい。

 

 

2022/7/16

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 就活本当にやってなくてやばい。他のなんか「就活やばいのに二郎きてもうた!w」とか言って写真載せてる自虐というありふれた定型を借りないと自分でユーモアを創造できないゴミ野郎とはちゃってマジでやってない。正直本当に救いよう無いわ。教授その他大人の伝手何も無いし、作品全部おもんないし、普通に偏差値10しかないしな。マジで23卒の奴ら全員で集団自決しね、そしたら来年から就職も多少易しくなるでしょう。自殺はマジで浅い奴しかやらんことだけど、金が無いことには生きられないシステムになっている以上、もう死ぬしかないだろ。いややりたいこととかどうせできんしな俺自身の発想力が無さすぎるしユーモアも持っていない知識量も無い頭も悪いし、おもんなさそうな会社には入りたくないし、やりたいことで働けないなら生きてる意味なくね。別に俺面白いとか言われたことないんよな、ネットの奴らとも連むけどさ、結局成り行きで同界隈に所属しているってだけで「お前はマイメン」みたいな目で見られていることだろうし、俺の何が良かったんですかって問い詰めたら本当に困りそうでウケる。絵がうまいとかクラスで絵描いてたら誰でも言われるようなことしか出てこなそ〜笑 こんな日記を書いている莫迦者とはすぐに縁を切りなさい。いやええねんそれは、俺が周りを面白いと思って見ているからマイメンが俺をどう思っていようと関係ない。ただ死ぬことで親にどうしようもない後悔をさせたいという気持ちはある。普段から親がやってやっている、誰の金やねんみたいな態度取ってきたら、子供が気悪くなるのは当たり前で、そこに思い至れないくらい自分が子供より上なんだぞっていう一種の自己陶酔への浸りたさが強いんだったら、お前はそもそも結婚(して子供を養育)するべきじゃなかったというのを俺の早期の自害によって思い知らせてやりたいというのが。あと親が「就活はどうなんだ」って聞いてくるのはなんなん? なんで「就活」って言葉じゃないと話せねえんだよ、お前どんだけ子供の関心事に興味ねえんだよ。てか「就活」を皮切りに話をし始めるのが趣がなさすぎる。コミットしてこいよこちら側に、◯◯会社は給料も良いしまだ募集してるらしいぞみたいな、まずこちらに協力的である態度を具体的に見せろよ。会話がつまらん、考えない奴とは本当に話を交えたくない。しかし俺はどうやら頭の回転の遅い方の人種らしくて、しゃべりの場で回答するのが下手すぎるから、もっとも俺との会話なんて建設的にできないし誰も話したいと思わないだろうがな。日記もロングになってる時は割と1時間半とか2時間かかってんねんな。明日もどうせ将来に何にも役立たない趣味の悪い絵描いてんだろうな、この社会不適合者を誰か殺してくれや。